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地獄のような世の中

Posted January. 12, 2023 08:43,   

Updated January. 12, 2023 08:43

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「天国に住んでいる人は地獄のことを思う必要がない。けれども僕ら五人家族は地獄に住んでいたから、天国について思い続けた」。趙世熙(チョ・セヒ)が書いた『こびとが打ち上げた小さなボール』に出てくる文だ。1970年代の韓国社会の階級不平等にスポットライトを当てたこの小説は、19世紀のフランス画家オノレ・ドーミエが描いた「三等車」を想起させる。

絵は、真冬の三等車の中の風景を描いている。狭く寒く汚い客車の内部、かたい木の座席は乗客で埋め尽くされている。最前列には、みすぼらしい出で立ちの家族が並んで座っている。左の若い母親は、乳飲み子を抱いている。赤ん坊が起きれば、母乳を与えなければならない。真ん中の年老いた女はバスケットの取っ手を握りしめ、思いにふけっている。右の少年は疲れたのか、ぐっすり眠っている。子どもの父親は見当たらない。

ドーミエは、権力者やブルジョアを鋭く風刺した絵で苦難を経験し、名も馳せたが、彼の関心はいつも社会的弱者だった。労働者、洗濯婦、薬売りなど都市の貧民の憂鬱な心理を看破して描写した。ドーミエも労働者の息子として生まれ、生涯苦労したため、似た境遇の人々に同情したようだ。画家になった後も、風刺画や挿絵を描いて生計を維持した。ドーミエが三等車をテーマに描き始めたのは40代後半、経済的、肉体的に最も苦しい時期だった。同じテーマで3点の絵を描いたが、この絵が最後の作品で完成度が最も高い。しかし、急進的なことは歓迎されないもの。この絵はドーミエが死ぬ1年前になって公開された。

趙世熙が「こびと」を都市の貧民の象徴としたなら、ドーミエは列車を階級的不平等の象徴として描いた。劣悪な三等車は、貧しい人たちが住む地獄のような世の中の比喩だろう。絵の中の家族は天国を夢見ることができるだろうか。少年は大人になって一等車に乗れるだろうか。韓国社会の不平等はあの頃より良くなったのだろうか。肯定的な答えは容易ではない。