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Posted January. 07, 2023 08:43,   

Updated January. 07, 2023 08:43

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ニーチェは人間は忘却の動物と言った。しかし、人間がすべてを忘れるわけでもなく、すべて忘れることができるわけでもない。生きていると私たちは必ず魂に傷を負う。傷が深ければ記憶も深い。「人生の強制が与えた傷跡でないのなら、記憶とは一体何か」。ユ・ジョンホは自伝的エッセイ「その冬、そして秋、私の1951年」でこう語った。生きることにはすべて痛みが伴う。私たちの記憶は痛みが残した痕跡だ。

2023年、新年が始まった。カレンダーの数字は変わったが、私は昨日と同じ人間であり、日常は似通った一日の連続だ。忘年会の時期は終わっても、痛みを忘れるという意味の「忘年」は容易に完成しない。昨年の悩みと感情は年を越えてもやって来るからだ。

新年が始まるからといって、魔法のような変化を望む年齢ではないが、それでも新年なので、もどかしいと感じる人々にこの詩を紹介する。熟年世代のこの詩人は、傷跡が今日を生きる力になると言う。人生の傷が避けられず、忘れられないのなら、新年には傷にかさぶたができ傷跡になることをこの詩を読んで想像する。

キム・チョヨプの短編小説「巡礼者たちはなぜ帰らない」はこのような一節で終わる。「私たちはそこで苦しむだろう。しかし、それよりも幸せだろう」。この一節を引用して新年の希望を吟じてみる。私たちは苦しんでいるが、それよりも幸せだろう。