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はい、わかりました

Posted December. 21, 2022 09:04,   

Updated December. 21, 2022 09:04

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1870年代のある冬、ロシアを背景とする物語。主人は恐ろしい吹雪で立ち往生すると、自分だけ生きるために下男を見捨てる。「あんな奴は死んでも構わない。どうせ大したことのできない奴だ。そんな奴は命も惜しくない。しかし、私は生きる価値がある」。彼にとって下男は見捨ててもいい物、つまり「それ」だった。

ところがいくら馬を走らせても、雪の中で方向を失い、周囲をぐるぐる回るだけだ。彼は、馬から転がり落ち、その事実を知る。その間に、下男は雪に覆われて死にそうだった。主人は、その姿を見て驚くべき行動に出る。下男の体に積もった雪を払い、自分の毛皮のコートの裾を広げて下男にかぶせたのだ。自分の体温で下男を温めるためだ。その結果、彼は下男を助けて死ぬ。

トルストイの有名な短編「主人と下男」に出てくる話だ。お金だけを考えて生きてきた利己的で悪辣な主人が、どうしてそのような行動に出たのか。作家は、彼の内面のある存在を暗示する。彼の名前を呼び、下男の体の上に覆いかぶさるように命じたのも、過去の行動を懺悔し、自分が下男であり、下男が自分だと思わせたのも、その存在だということだ。「彼は生きている。それなら私も生きているのだ」。支配層が下層民を利用の対象、すなわちマルティン・ブーバーが言う「それ」ではなく、受け入れて尊重しなければならない人格的対象、すなわち「汝」と見るようにする存在。

トルストイはそのような存在が、私たちの中で愛と犠牲の方向に私たちを向けていると考えた。私たちの中にある神性、それが引き起こす倫理の希望が私たちの背を押し、死にそうな人を生かすのだ。私たちは、その神性の命令に「はい、わかりました」と答え、ただ従えばいいのだ。人間に対する限りない信仰がなければ不可能なことだ。私の体で他人の凍った体を温めるということ。これがトルストイが悟らせた宗教原論だ。