Go to contents

文化財庁、忠武公の位土を守った人々の子孫に感謝牌

文化財庁、忠武公の位土を守った人々の子孫に感謝牌

Posted December. 17, 2022 09:20,   

Updated December. 17, 2022 09:20

한국어

「祖父がこのように意味あることに参加したことを家族も知りませんでした。祖父の業績を見つけてくれて感謝します」

忠清北道槐山郡(チュンチョンプクト・ケェサングン)で3代目「テソンサ醸造場」を経営するユ・ギオクさん(64)は、祖父が1931年6月、東亜(トンア)日報が主導した「忠武公遺跡保存民族募金」に5ウォン寄付したことを10月に初めて知った。文化財庁の顯忠祠(ヒョンチュンサ)管理所が今年、顯忠祠重建90年を迎え、6月から、忠武公の位土(墓所管理費を調達するための土地)を守るために寄付をした人々の子孫を探した。

顯忠祠管理所は16日午後、忠清南道牙山市(チョンチョンナムド・アサンシ)の顯忠祠で、民族募金に寄付した人々の子孫を招待し、ユさんを含めこれまで探し出した寄付者の子孫(個人31人、21団体)に感謝牌を伝えた。ユさんは、「祖父が民族が困難な時に寄付した精神を家風として継承していく」とし、「祖父がつくった醸造場に感謝牌を大切に飾る」と話した。

大邱達西区(テグ・タルソク)にある大邱サンウォン高校も感謝牌を受けた。同校の前身である大邱商高は、1931年に生徒たちが少しずつお金を出して集めた16ウォン30銭を東亜日報に送った。ユ・ジングォン校長は、「来年開校100年を迎えるが、生徒たちが国が困難な時に先頭に立った先輩たちを模範にするよう努める」と語った。

忠武公遺跡保存募金運動は、1931年5月13日に東亜日報が「2000ウォンで競売にかけられる李忠武公墓所位土」というタイトルの記事を掲載して触発された。東亜日報は、「民族の恩人、李忠武公の位土が競売にかけられる」と報じた。論説委員だった独立運動家の爲堂(ウィダン)・鄭寅普(チョン・インボ、1893~1950)は翌日、社説で、「忠武公墓所と位土の保全は韓国民族すべての責務」と呼びかけた。

同紙の報道は、民族の精神を目覚めさせた。同紙が主導した「李忠武公遺跡保存委員会」に、1932年6月までに約2万人、400団体の寄付により1万6021ウォン30銭(現在の10億ウォンに相当)が集まった。保存委員会は忠武公の位土を取り戻し、残った寄付金で1932年に、忠武公の古家の横に顯忠祠を重建した。文化財庁は今年8月、当時の寄付の手紙や支出帳などの史料4254点を国家登録文化財に指定した。


イ・ソヨン記者 always99@donga.com