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子どもは親の鏡

Posted December. 15, 2022 08:32,   

Updated December. 15, 2022 08:32

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美術を専攻していないのに、独学して画家として成功した人たちがいる。フランスにアンリ・ルソーがいるなら、米国にはフランシス・ウィリアム・エドモンズがいる。税関員だったルソーは引退後、専業画家になったが、エドモンズは生涯銀行員だった。お金を扱う職業人なので、絵を描く時はむしろ文学や道徳的テーマにはまっていった。

17世紀のオランダの風俗画を連想させるこの絵は、19世紀の米国の中産層家庭を描写している。真ん中の若い女性は、新しいボネットを手にして満足そうな表情をしている。右側にいる彼女の両親は、ボネットの値札に驚いてショックを受けた様子だ。ドアの前に立っている配達員の少女が、異世界の人々を見るように彼らを眺めている。あのボネット一つの価格は、貧しい少女の家族の数ヶ月分の食費に当たるのかもしれない。恐らく少女には、床に置かれた様々な野菜の方がより魅力を感じる品目なのだろう。虚栄に陥った女性と、労働に追い込まれた幼い少女の姿が強い対照を成す。

エドモンズも貧しい環境で育った。版画家になりたかったが、家の事情で若いときから銀行員になった。だからといって夢をあきらめはしなかった。生涯銀行員として働きながらも、地道に絵を描いた。30歳の時に初めて展示に参加したが、確信がなくてペンネームで出品した。心配とは裏腹に好評を得ると、ようやく自信を持って画家として活動し出した。彼が52歳の時に描いたこの絵は、物質万能主義と消費主義を風刺している。銀行員として働きながら出会った数多くの顧客が、この絵に影響を与えたことだろう。虚栄心旺盛な金持ちから放蕩で財産を使い果たした人、貧困を受け継ぐ人まで。

絵の中の年老いた両親は、虚栄心旺盛な子供に失望し、教育を誤ったと自責しているのかもしれない。しかし、子供は親の鏡なのだ。画家は母親のそばに鏡を、父親の後ろには酒瓶と杯を描き入れ、両親の虚栄心と放蕩さを暗示している。結局、問題児の問題は親が作るということを示す絵なのだ。