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文字という奇跡

Posted December. 14, 2022 08:34,   

Updated December. 14, 2022 08:34

한국어

「根深い木は風に揺れないので、花が美しく実も多い。/泉の深い水は日照りにも乾かないので、川を成して海に流れる」。「竜飛御天歌」の一部分を現代語に変えたのだ。漢字語は一つもない。「千年の時間を経て、漢字漢文に隠されたこの地の一番深いところから、湧き水のようにあふれ出るこの地の言葉」という賛辞は誇張ではない。これは韓国人ではなく、日本の学者、野間秀樹の賛辞だ。彼は「ハングルの誕生」という本で、ハングルが作られたことをこの世のどこにもない文字の奇跡だと日本の読者に説明する。画家を兼ねていてのことなのか、彼の文章はハングルが作られる過程を一幅の絵のように広げて見せる。外国人の賛辞が私たちの胸を熱くさせる。

彼は、申瞳集(シンドンジブ)詩人の詩「命」を引用して、ハングルがあったからこそこのような詩が可能になったと話す。「私たちはまだ砲煙の思い出の中で/消えた名前を呼んでいる/暖かく体温に浸った名前/生きた者は死者を証言せよ/死んだ者は生きた者を告発せよ」。詩人は韓国戦争を素材にした詩を通じて、戦争の悲劇的現実を凄然と証言する。しかし、ハングルがなくても、それが可能だったのだろうか。違う。野間教授の言葉のように、自分の文字のない国々のように、ローマ字を借りてその戦争の悲劇を証言しなければならなかったのかもしれない。彼が言う「文字という奇跡」、すなわちハングルの価値はここにある。

しかし、私たちはその価値をあまりにも疎かにし、何も考えずに母語の体に傷をつける。私たちの口からは英語がすらすらと出てきて、英語を混ぜてこそ私たちの耳には素敵に聞こえる。日本の学者は、朝鮮の叙事詩「竜飛御天歌」を読みながら、根深い木と泉の深い水の喩えに感嘆し、「韓国語の清楚で力あふれる旋律」について語るが、いざ私たちは美しさを保存するどころか傷つけることに共謀する。外国人の賛辞が私たちを恥ずかしくさせる。