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わかり得ない

Posted October. 28, 2022 08:55,   

Updated October. 28, 2022 08:55

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白居易は一首の詩を完成するたびに、家事をする老婆に先に読み聞かせ、老婆が意味を理解すれば、それを自身の詩として記録したという。白居易の詩を「山東に住む老人が農作業をし、蚕を飼うようにすべての言葉が事実的だ」と評価した人もいる。自分の博学多識を活用して人生の哲学、男女の恋情を描いた作品も少なくないが、白居易の詩が容易で通俗的だったことを証明するには十分だ。

この詩は少々特別だ。容易で構成も単純なのに、詩人が言いたいことはぼんやりしている。花かと思うが花ではなく、霧かと思うが霧でもない。後ろの言葉にヒントがあるようだが、ぼんやりしていることは変わらない。まったく実体がつかめない。真夜中に来て日が明けると去るもの、春の夜の夢のようにしばらく留まり、朝雲のように跡形なく消えるもの。見えるようで見えず、つかめるようでつかめないこれは、果たして何なのか。花のように霧のように春の夢のように雲のように美しく甘いが、すぐに消えてしまうその何かは、切ない初恋の思い出だろうか。避けられない人生無常の虚しさだろうか。

明の文人、楊慎は、この詩を愛しているとし、その理由を宋玉の「高唐賦」、曹植の「洛神賦」がいくら美しくとも、この作品には及ばないためだと言った。この2つの作品は、人間と神女の叶わぬ愛を描写したという共通点がある。この詩は、詩人が男女間の愛の虚しさについて勝手に想像したのかもしれない。