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永遠の未完成、手紙

Posted October. 21, 2022 08:59,   

Updated October. 21, 2022 08:59

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風のイメージが季節ごとに異なるなら、春風は胸で感じ、夏の風は全身で楽しむものだろう。真冬の北風寒雪が耳元を叩くなら、秋風はおそらく転がる落ち葉に包まれ、目の前に揺れるのではないか。詩人が突然、故郷と家族を思い浮かべたのも、風の吹く洛陽城のうら寂しい風景を見たことから始まる。長い間ためておいた心の声がすらすらと流れそうだが、いざ筆を持ってみると、幾重にも浮かび上がる思いのため、見当がつかない。何か言い逃したことはないかと思い、人づてが去る直前までそわそわしている。「人づてが去る頃、再び開いてみた」のは、ノスタルジアが働いたためだろう。しかし、世の中に言いたいことを全部言いつくして送る手紙など、どこにあるだろうか。永遠に未完の声であり、未完の心で封じるしかないものを。

詩の第3、4句は「春香(チュンヒャン)伝」にも引用され、私たちには馴染みのある名句。春香の手紙を持って漢陽(ハンヤン)に向かう房子(パンジャ)を道で会ったお坊ちゃまの李道令(イ・ドリョン)が、手紙の内容を見ようと房子を説得するシーンからだ。李道令が「昔の文によると、『復恐悤悤說不盡』して、『行人臨發又開封』と言ったので、しばらく見てから返す」と言うと、変装した李道令に気づかなかった房子が、「この者の格好は凶悪でも、文の中身は感心する」として手紙を渡したのだ。李道令が引用するほど、この詩は朝鮮でも知名度が高く、また房子がその意味をすぐに理解できるほど、平易な口語体になっているという点も一味違う。