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200年前の「植物移住」の歴史的瞬間

Posted September. 03, 2022 07:45,   

Updated September. 03, 2022 07:48

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1829年、英ロンドン。好奇心旺盛な外科医のナサニエル・ウォードの家で、人類の歴史を変える新芽が頭をもたげた。さなぎが蛾になる姿を見ようと、ガラス瓶の中に乾いた葉やさなぎ、土を入れておいたが、土の表面の上に新芽が出たのだ。この植物は、ビンの中でなんと3年も生きた。

4年後、ウォードはシダ類などを入れた密閉型ガラス箱を、オーストラリアのシドニーまで船に積んで送った。その後、オーストラリアの自生植物ウラジロなどを同じ箱に入れてロンドンに送る実験も行った。二つの実験は大成功だった。植物を生きている状態で遠距離を移動させる別名「ワーディアンケース」が発明された瞬間だった。

ワーディアンケースは、植物を種子の形で運ぶ時に、枯れたりカビが生える問題を一気に解決した。生きている植物をそのまま運ぶことは、他の大陸の環境をそのまま移動させるという点で注目された。ワーディアンケースは、バニラやコショウなどあらゆる植物をヨーロッパに持ち込む「魔法の箱」として大活躍し、種苗業界と植物学者たちから脚光を浴びた。

しかし、19世紀と20世紀の帝国主義の列強は、植民地にプランテーション(大規模商業農場)を造成するための道具としてこれを悪用した。ドイツは、カカオを含む各種植物の苗木をこの箱に積んで、カメルーンなどの植民地に大量運送した。植民地の広い農耕地と作業員を活用して、様々な植物を栽培し天文学的な収益を上げた。さらに、この箱はウイルスや病害虫までそのまま移動させ、生態系のバランスを崩す主犯と指摘された。

人間がワーディアンケースで植物を自由に運んだ結果を、光と影に分けてバランスよくスポットライトを当てた著者の洞察力と、見慣れない植物箱の話を簡単で興味深く解説した腕前が目立つ。


孫孝珠 hjson@donga.com