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否定的な拡大解釈の危険性

Posted July. 25, 2022 09:40,   

Updated July. 25, 2022 09:40

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「私たちは、自分に起きた出来事から影響を受けるのではなく、その出来事についての自分の解釈から影響を受ける」(エピクテトスの語録)

以前、あるチーム長が退職面談をしていたところ、かろうじて話を切り出した。「なぜ、私を憎んだのですか?」。そう思った理由を尋ねると、彼は色々な記憶を持ち出した。彼は3年前に、私が事務所で挨拶を受けなかったと言った。いつかチーム長たちの報告時間に、「時間がない」として自身の報告だけを聞かなかったと話した。このような出来事から考えて、彼は私が自分を憎んでいると解釈し、結局退職まで決心したのだった。しかし残念ながら、私はこのようなことを全く覚えていなかった。

ギリシャの哲学者エピクテトスは、「私たちは起きた出来事ではなく、その出来事に対する自分の解釈から影響を受ける」という洞察を残した。愛する人が死んだり離れた時に苦痛を受ける理由は、その死や別れそのもののためではなく、それに対して付与した自身の意味、すなわち「私はもはや一人だ」「私のせいだ」などの解釈のためだという。

相手が狙いを持って行動しなかったのに、「愛情がないから」「私を憎んでいるから」と考えて挫折することは少なくない。あることに一度失敗しただけなのに、「私は落伍者」として深く絶望したりもする。結局、自分を挫折させることは、他の誰かやどんな出来事ではなく、自分の解釈である場合が多い。

人間があることに意味を付与し、解釈することは自然なことだ。しかし、この過程が極端に向かう時、人間は自ら苦痛の中に進むことになる。このような考えのくびきを避けるためには、どうすればいいのか。認知心理学者たちは、出来事と解釈を分離して、出来事自体を冷静に受け入れる練習をしろと助言する。起きた出来事に対する否定的な拡大解釈を警戒せよということだ。あなたはどんな選択をするのか。