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初夏の情緒

Posted June. 17, 2022 09:15,   

Updated June. 17, 2022 09:15

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夏の初め、梅の実にはまだ酸味が残っていて、窓際の芭蕉の葉の影が絹の帳の上で青くゆらめく季節。陽が長くなり、昼寝もゆっくり楽しむことができ、空中には柳の綿が飛び散る。自然は夏の進入を予告し、詩人は柳の綿をつかもうとはしゃぐ子どもたちを見て退屈をしのぐ。芭蕉と絹の帳が新鮮な青みを共有する間、詩人は柳の綿をつかむ遊びに夢中の童心と心を交わし、初夏の情緒を満喫している。

四十を超えたばかりのこの頃の詩人は、詩のようにただゆったりと過ごせる状況ではなかった。当時、詩人は父親の3回忌を行うために、官職を離れて故郷にいた。女真族が建てた金との対立で、朝廷は主戦派と主和派に分かれて混乱の渦に陥っていた。主戦派として詩人は愛国の志士を訪ね、朝廷の無能さと腐敗を叱責した。初夏の情緒に心酔した詩人のこの「忙中閑」は少し不可解に感じられるが、大切な時間だっただろう。

この詩は2首からなる連作詩。第2首でも、詩人の視線は子どもから離れない。「澄んだわき水を手に汲んで芭蕉に撒き、子どもたちは、雨音と勘違いする」と詠った。あどけない童心のプリズムを通じて現実的暗鬱を忘れ、しばしカタルシスを求めようとしたのかもしれない。雑念なく子どもたちを眺めて童心と疎通する間、世間の煩悩は初夏の長い日に溶け込んだだろう。