Go to contents

「世の中で最も大きな涙」

Posted May. 11, 2022 09:00,   

Updated May. 11, 2022 09:00

한국어

幼年の純粋さにまつわる話はいつも感動し、おぼろげに迫る。過去の純粋な自我に関することであるがゆえ一層そうなのかもしれない。話はツバメの子から始まる。優しいおじいさんに奇跡の種を渡すツバメではなく、ただの平凡なツバメだ。

ツバメの親は、子が生まれると、熱心に餌をつかまえて運ぶ。しかし、つかまえてきたモンシロチョウの幼虫をツバメの子が誤って地面に落とす。つかまらなければ蝶になった幼虫は、落ちて死ぬ。死んだ幼虫に蟻が集まる。お腹のすいた蟻は幼虫を巣に引っ張っていこうとするが、「赤ん坊の拳ほどの土の傾斜」で立ち往生する。蟻には、幼虫はシーシュポスの岩に相違ない。山の頂上に岩を置くと下に滑り、また登らなければならないシーシュポスのように、蟻は幼虫を運ぶことを繰り返す。

 

ここからは人間の話。子どもがうずくまってその姿をぼんやり眺めている。だが子どもの目には涙がたまっている。詩人ユン・ジェウンの散文詩「世の中で最も大きな涙」のもの悲しい風景だ。詩人は子どもを「小僧」と設定し、仏教の教えを喚起する。「頭の青い小僧は、その前にうずくまり、両目に涙を浮かべて見下ろす」。

子どもの涙は、「大般涅槃経」の人間の内面にある仏性から出る涙だ。人間だけでなく蟻のような生命にまで無限に拡張される憐憫の情、誰でもブッタになれるその心が私たちの中にあるということだ。英国の詩人ウィリアム・ワーズワースは、そのような倫理的衝動は神から来たものだと言った。子どもがモンシロチョウの幼虫と蟻を見て泣くのは、そういう衝動の産物だ。世の中の道理を分からずに泣くのではない。深くて泣くのだ。大人が子どもから学ばなければならない理由はこれだけでも十分だ。

文学評論家・全北(チョンブク)大学碩座教授