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スペックで世の中を見るな

Posted May. 10, 2022 08:47,   

Updated May. 10, 2022 08:47

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ロシアの第2次世界大戦の戦勝記念日に世界の注目が集まった。ロシアが終戦を宣言するという情報もあり、逆に全面戦を宣言するという脅しもある。聞いてみると、滑稽でもある。ロシアが一方的に終戦を宣言したからといって、終戦になる状況ではない。結局、ロシアのプーチン大統領は9日、戦勝戦の演説で強硬策を強調し、「全面戦」を宣言した。

この戦争で全世界に苦痛と恐怖が広がっているため、ウクライナが適当に譲歩したらどうかと考える人も多い。しかし、ヘルソン-クリミア-ドンバス回廊は、今ロシア軍が確実に掌握している状況でもなく、戦争を止める案でもない。ロシア軍が2、3年後に、今回獲得した領土を基盤に再び侵攻するなら、ウクライナの運命は本当の風前の灯になる。

全面戦の宣言も特に意味がない。動員令を下したとしても、ロシア軍の能力が6ヵ月以内に換骨奪胎するという保障は全くない。経済制裁は思ったほど即時効果はない。ロシアの独特な経済と国民性を考慮すれば、少なくともパンと燃料はあるので、旧ソ連時代を覚悟すれば、より長く持ちこたえられるかもしれない。しかし、このような状態で国防力の強化は遠い。

ロシアは、すでに賢明で理性的な選択ができる時期を逃した。そのため、なおさら終わりが分からない。明らかな教訓は一つだけだ。この戦争の前に、ロシア軍は恐怖の軍隊だった。冷戦時代の偏見で、ロシア軍はその時から今まで低評価されていたと主張する人も多かった。

現代のロシア軍は、独ソ戦の時とはまた違って、膨大な量と性能の兵器を保有する一級の軍事国家として扱われた。しかし、実戦を見ると、ずさんな部分があまりにも多い。軍事力において、兵力と兵器は重要な目安だ。私たちがよく聞く世界軍事力の順位も、このようなスペックが影響する。しかし、順位より重要なのが能力だ。順位が能力を物語っているわけでもない。我々がこの戦争で学ばなければならない教訓は、これではないだろうか。

歴史学者