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眼識のある画家

Posted April. 28, 2022 09:08,   

Updated April. 28, 2022 09:08

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悲運の天才画家と呼ばれるフィンセント・ファン・ゴッホ。貧しさと狂気で綴られた人生を送った彼は、一生たった一点の絵を売った。皆がそっぽを向いていたゴッホの作品を喜んで購入したのは、ベルギーの画家アンナ・ボッシュだ。ボッシュは、一度も会ったことのない異国の無名画家の絵をなぜ、そしてどうやって収集したのか。

ボッシュは、ベルギーで活動した印象主義画家だ。裕福な父親のおかげで、弟のウ-ジェンヌと共に余裕を持って画家活動をし、若い画家たちの作品も収集した。彼女が生涯収集した作品は、431点にも上った。ボシュは、ベルギーの急進的な美術家20人で構成されたグループ「20」のメンバーでもあった。この肖像画は、同じグループの会員だったテオ・ファン・レイセルベルヘが描いた。点描法で描かれた絵の中のボッシュは、片手にパレットを、もう片手に筆を握って遠くを見つめている。一目見ても、専門画家としての誇りを表す肖像画だ。20人の会グループは、年次展示会を開いて海外作家たちも招待したが、1890年の展示には、ポール・シニャック、ポール・セザンヌ、ポール・ゴーギャンとともにファン・ゴッホも招待された。ゴッホは、「ひまわり」をはじめ計6点を出品したが、そのうち「赤い葡萄畑」をボッシュが400フランで購入した。

実は、ボッシュの弟のウ-ジェンヌは、ゴッホがフランス・アルルで知り合った親友だった。姉は、弟を通じてゴッホの事情についてよく知っていた。ゴッホの才能も高く買ったが、作品購入で弟を喜ばせたい気持ちも大きかった。その年の夏、ゴッホが自ら生涯を閉じたため、この絵はゴッホが生前に販売した唯一の作品となり、ボッシュはゴッホの絵の価値を見抜いた唯一のコレクターとなった。

ボッシュは眼識のある良い画家だったが、生前は認められなかった。1936年に死亡し、140点あまりの作品を自宅の庭師の娘に残した。彼女の宗孫であり、有名陶磁器企業「ビレロイ&ボッホ」の会長であるルイトビン・フォン・ボッホが、1968年にこれを再び買い入れて公開し、初めて画家としてスポットライトを浴びた。

美術評論家