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「ほかに方法がありますか」

Posted April. 13, 2022 08:26,   

Updated April. 13, 2022 08:26

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文学は、時に憂鬱な世の中を照らし出すことで読者に現実を直視させる一種の鏡だ。作家キム・ヘジンの『中央駅』は、まさにそのような鏡だ。この国のどこに行こうが目にする路上生活者の話だ。

最も憂鬱になるシーンの一つ。真夜中に救急車が広場に到着する。誰かが倒れている。路上生活者の老人だ。すぐに病院に連れて行かなければならない緊急な状況だ。救急車が老人を乗せて行くと、病院の救急室では受け入れてくれない。保護者もおらず、個人情報を示す書類もなく、基礎生活受給確認書もないためだ。救急隊員は三つ目の病院の救急室に老人を押し込んで逃げる。そんなことをしていいのか。「じゃ、ほかに方法がありますか」。話し手である同行した路上生活者に救急隊員が言った言葉だ。

同じような場面がまた出てくる。主題に関連するという暗示だ。今度は、ひどい腹痛を訴える路上生活者だ。老人と同様、保護者もおらず、個人情報を示す書類もない。病院が受け入れるはずがない。今回も救急隊員の言葉は同じだ。「ひとまず治療を受けさせなければならない。救急室に入れなければならないのではないか」。勝手にここに寝かせるなと言われると、話し手は自分が好きな人だが、知らない人だと否定する。イエスを知らないと言ったペテロのように、三度も否定して逃げる。救急処置を受けさせるには、その方法しかない。

私たちも話し手のように、知らない、関係のないことだと言いたい。小説が照らし出す暗鬱な現実から背を向けて世の中の明るい面だけを見たい。しかし小説は、暗い話を展開しながらも、最後まで私たちの視線をつかむ魔力を発揮する。路上生活者が直面した現実の混乱と無秩序を言葉の秩序、すなわちうまく編み出されたストーリーから出てくる力だ。さらに、この世の中の底辺にいる人が直面した現実を冷徹だが温かく、温かいが冷徹に見つめる目まで備えている。ここに小説の倫理性が確保される。

文学評論家・全北(チョンブク)大学碩座教授