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たった一人によってヴェルダンの戦いに敗れた

たった一人によってヴェルダンの戦いに敗れた

Posted April. 12, 2022 08:41,   

Updated April. 12, 2022 08:41

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1916年3月21日の朝、1200門のドイツ軍の大砲が一斉に火を噴いた。午後4時まで続いた砲撃は、ヴェルダンの要塞と塹壕、フランス軍の砲台、鉄道を破壊した。第1次世界大戦の時は、420ミリ、380ミリ大砲もあった。ドイツ軍は一週間分として250万発の砲弾を準備した。

恐るべき火力よりもさらに恐ろしいのが、ドイツ軍の綿密な計画と準備性だった。ヴェルダンの砲撃戦術は4ヵ月後に起こるソンムの戦いで英仏連合軍が使った砲撃戦術よりも精巧で、破壊的で、先進的だった。

ドイツ軍は、大砲の性能と射程距離によって正確に任務を割り振った。重砲は塹壕と兵士を攻撃し、射程距離が長く速射が可能な野砲でフランス軍の砲台と兵站線を攻撃する。1次砲撃が終われば、迫撃砲で防衛第1線のフランス軍を再び攻撃し、野砲は第1線の後方に対して弾幕砲撃を開始して第1線に駆け付ける増援部隊を攻撃する。

敵の防衛線が後退すれば、直ちに砲台を前に移動させ、連続的な砲撃支援をする。この時、予想されるフランス軍の対応砲撃を避け、混乱なく速かに移動するために砲台間で支援砲撃をしながら移動する。

すべての面で優れたわけではないが、第1次、第2次世界大戦で、戦術的にも組織力にも先駆的で優れた軍隊はドイツ軍だった。シュリーフェン・プラン、電撃戦のような革新的な戦術だけでなく、先の戦いで得た教訓を即座に次の戦いに適用する応用と改良能力でもドイツ軍は常にリードしていた。簡単な例を挙げれば、ソンムの戦いに於いて、英仏連合軍はヴェルダンでドイツ軍が見せた改良戦術を全く採用できなかった。どこでこのような差が発生するかは、すべての軍事研究者が深く考えなければならない問題だ。

しかし、このような差別的な能力を保有していても、ドイツ軍はヴェルダンで惨憺たる失敗をした。決定的な理由は、参謀総長エーリッヒ・フォン・ファルケンハインだった。絶対的に非適格者だった彼が総長になった理由は、ヴィルヘルム2世の寵愛のおかげだった。ヴェルダンの戦いは、一人の不適格者によって全てを台無しにし得るという証拠だ。去る数十年間、うまく終わった政権はない。なぜだろうか。

歴史学者