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院洞詩編・9-簡易駅

Posted April. 02, 2022 08:26,   

Updated April. 02, 2022 08:26

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院洞(ウォンドン)駅は、院洞村にある。簡易駅というから、交通の要衝ではない。簡易駅を抱えている院洞村も、繁華街ではないだろう。旅行に行ったことのある人は、あそこを美しいと評する。春になると、梅の花が壮観だという。しかし、雲のように集まってくる人々と、雲のように咲いた梅は、この詩にはない。この詩人は、梅ではなく院洞駅そのものを見ている。梅が咲いても咲かなくても、詩人にとって院洞駅はただの院洞駅だ。観光地の一つではなく、長年あそこにいた簡易駅。詩人は確かに、その気さくで小さな簡易駅を愛している。

空間に対する愛情は、簡単には生まれない。足や手、時間と努力をかけなければならない。詩人は院洞駅の村で生まれ育った。彼は一生、自分の町のいたるところを訪れ、大事にし、愛しただろう。その過程で、詩人の「心の地図」には、院洞駅がはっきり刻まれるようになった。静かに自分の場所を守って立っている簡易駅。小ぶりで綺麗で、素朴な美しさ。詩人にとって、愛する院洞駅は、そのような意味だった。それで、やはり小さくてきれいで素朴なスミレを見て、簡易駅を自然に思い浮かべたのだ。君はそれと同じだね。2つとも愛らしくて大切だね。

この詩で、院洞駅とスミレは一つに繋がっている。しかし、よく考えてみると、詩人も彼らのそばにいなければならない。好きなら似てくるし、似ていれば好きになるもの。スミレをよく見つける人の心には、スミレが咲いている。

文学評論家