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見えるもの、その向こうを見よ

Posted March. 21, 2022 08:22,   

Updated March. 21, 2022 08:22

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「私たちは、ただ私たちの関心を引くことだけを見る。見ることは、一種の選択行為だ」(ジョン・バージャーの「ものの見方」)

美術批評家のジョン・バージャーは、1972年、テレビ講義で、「私たちが物事を見る方法は、知っていること、または信じていることから影響を受ける」と指摘した。つまり、一つのイメージは再創造されるか、再生産された結果物であるということだ。50年前の主張だが、世の中を眺めるにはただ一つの視線だけが存在するのではなく、多様な解釈でアプローチしなければならないということを力説した文章だ。

朝、目が覚めて眠るまで、私たちはイメージに押さえつけられて生きていく。イメージの「洪水」という表現が古風に感じられるほど、いくつかのイメージが絶えず注がれる時代だ。自分より自分のことをよく知っているようなアルゴリズムは、自分が何を見ているのか、自分がどのような反応を示しているのかを収集し、絶えず新しい見物を目の前に突きつける。視覚は80%以上の情報を受け入れる重要な感覚だが、同時に極めて多くのスキを持ったお粗末な感覚でもある。偽のイメージに簡単に振り回される目で見たことを、私たちはあまりにも当然のことと考える。

バージャーは、美術作品に接する際、能動的な主体となって見る態度が重要だと強調した。美術作品だけではない。数多くのイメージに陥没して生きていく今日、気を引き締めて社会を、そして時代を「別のやり方で見る」ために、毎瞬間努力しなければならない。見えるものがすべて真実ではないように、見えないからと言って存在しないというわけではない。見えるもの越しに、見えないものを見ようとする各自の闘争が、いつにも増して必要な時だ。見方を変えれば別人になる。違うことを考え、違う人生を送るようになる。何を見ようとするのか、どのような観点を作っていくのか、バージャーの問いに希望と意志を抱いて、私たちが答える番ではないか。