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自分に聞く

Posted March. 19, 2022 08:25,   

Updated March. 19, 2022 08:25

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問答法は、一種の話術であり、修辞学だ。質問と答えが続けば、それは一種の談議となる。これは孔子とかソクラテスがよく示したことがある。質問と答えがつながっていることを、私たちは哲学と呼んでいる。普通の質問に特別な答えがついてくると、それは悟りになる。なぜ山に住むのかと聞かれて、ただ笑ってしまうという李白の「山中問答」がこれに該当する。後頭部をなぐりつける賢答を我々は詩学と呼ぶ。

詩の出発は、何かを聞く行為から始まる。質問に対して、他人と同じ答えを解答紙を埋めるように書いて去る人は、詩人ではない。しかし、時にある人は、自分だけの答えを考えて、答えを夢見て、答えを自ら生きる。そうしながら、徐々に本物の詩人になっていく。

今日の詩には、全部で5つの質問と5つの答えがある。質問は厳しい先生のようで、答えは学びを求める教え子のもののようだ。しかし、実は一人が質問して答えた。正確には、イ・サンハ詩人が問いかけ、彼の一生が答えた。質問に対する答え一つ一つが、すべて覚悟であり悟りだ。「適当に咲き乱れる花はない」という答えは、事実を証明するものではない。立派な花をむやみに扱ってもいいかという誓いだ。「世の中にまったく同じ花は一つもない」という返事も同じだ。みんな違う形で生まれた花は、一つ一つ大切だということだ。戦争が終わっていないからこそ、この詩は残念でならない。

文学評論家