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五里

Posted March. 12, 2022 08:47,   

Updated March. 12, 2022 08:47

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私たちが「美しい美」と呼ぶ概念を、古代ギリシア人は「カロン(kalon)」と呼んだ。カロンは、肉体の目と精神の目で感知される徳目だ。ウンベルト・エーコは、この古い美しさがギリシャ人たちには楽しさ、すなわち快感を与えたと説明している。美しいのは、確かにいい。皆にとって美しいものは、皆に楽しみを提供する。しかし、みんなではなく、私にだけ特別に美しいなら、事情が少し違う。美しすぎてその思いをぬぐい切れないし、その存在を消すことができないし、失っても失うことができなければ楽しくない。そんなに美しい光景は、うら寂しくて、むしろ悲しみに近い。私たちは、時に何かが身にしみるほど美しいと、大声で泣く。この詩も美しくて悲しい詩になった。五里さえ行けば、夢に出てきそうな場所がある。そこからさらに五里だけ行けば、さらに五里だけ行けば春がある。春の風景は、こんなに静かで遠くて美しい。「半月」のような墓という表現に、一度戸惑い、私たちは詩人と再び五里を行く。最後に会う人がいる。春よりもうれしい母が、そこで待っている。桃の花や麹の香り、故郷、春、陽射しとお母さんまで、世の中に美しく、いいものが一堂に集まっているのだから、これ以上はない。いいけど、本当に悲しい。悲しいのに本当に美しい。