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一人で堂々と

Posted March. 03, 2022 08:32,   

Updated March. 03, 2022 08:32

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黒い服に黒い傘をさした女の子が、正面を見つめて立っている。憂いに満ちた目と赤い頬からは警戒心と不安が感じられるが、固く閉ざされた唇からは硬直した気持ちも読み取れる。この印象的な肖像画は、19世紀末にパリで活動したウクライナ出身のマリ・バシュキルツェフが描いた。絵の中の少女は一体誰で、異国から来た画家の目を引いたのだろうか。

裕福な貴族の家門で生まれたバシュキルツェフは、12歳の時に両親が離婚したため、欧州の多くの都市を転々とし、パリに定着した。偉大な画家になることを夢見た彼女は、20歳の時、私立美術学校「ジュリアンアカデミー」に入学した。国立美術学校のパリ国立高等美術学校は、女子生徒の入学を認めなかったためだ。22歳の時からサロン展に毎年出品し、経歴を積んだ。この絵は、彼女が24歳の時に描かれた。モデルは、地元の保育園で会った孤児の少女で、画家が残した日記にはこう書かれている。「私は黒いスカートをはいて、肩の上に広がる傘をさした少女を描いている。外で描いているのだが、雨がずっと降っている」

このことから、この絵は雨の日に野外で描かれたものである。そのためなぜ、絵の色あいがくすんでいるのか、少女の表情が暗いのかが説明される。画家は、傘と服を黒で単純に表現した反面、少女の顔は明るいトーンで細密に描写した。少女の表情が絵の中心なのだ。保護者もなく、壊れた傘を持って雨の中に立っている孤児の少女を見て、バシュキルツェフはどんな気持ちになったのだろうか。偉大な芸術家の夢を抱いた異邦人の女性画家として、世間の偏見に立ち向かって、一人で堂々と戦う自分への投影ではなかっただろうか。

画家はこの絵を完成させた翌年、サロンで好評を博したが受賞できず、挫折した。結核まで患って、結局、その年にこの世を去った。享年25歳だった。生前に認められなかった画家は、逝去から3年後に彼女の日記が出版され、初めて世の中に名前を知らせた。

美術評論家