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みんな天才だ

Posted February. 28, 2022 08:29,   

Updated February. 28, 2022 08:29

한국어

「すべての人は天才だ。しかし、どれだけ上手に木に登るかで魚の能力を判断すれば、魚は一生自分は愚かだと信じているだろう」(アルベルト・アインシュタイン)

教育熱心な韓国では、子どもを天才に育てたいと思う保護者が多いだろう。天才はどのように定義できるか。高い知能指数(IQ)に、試験成績が優秀で、一流大学に合格すれば天才だろうか。このような物差しなら、少数だけが天才だろう。しかし、世紀の天才と認められたアインシュタインは、「すべての人は天才だ」と言った。教育者として、この文句に積極的に共感する。

筆者は、米ハーバード大学で約10年間学位過程を踏んで、多様な分野で天才的な学生や教授たちに会った。そのためか、誰に会っても、彼らのずば抜けた才能は早く見抜く方だ。

韓国大学は、内申や論述、修学能力試験(日本のセンター試験に該当)の点数などで、学生を選考する。この選考基準から見れば、いわゆる一流大学の学生でなければ、天才とは呼べないだろう。しかし、授業をしていると、「隠れた真珠」のような学生たちに出会う。彼らと研究を一緒にすれば、強みと弱みが分かる。強みを発揮できるプロジェクトを任せ、弱点を補ってくれる人たちとチームを組んで訓練させれば、その強みがいつの間にか一定のレベルに発展したことを目にできる。教育者として最も胸がいっぱいになる瞬間だ。

大学で科学英才院の院長を兼任し、小・中等学校の英才にもよく会う。卒業式の時は、私はこう強調したりする。英才教育院の修了が持つ最大の意味は、皆さんの心の中に、「僕は英才だ!」という自己催眠の種を植えたことだと。同じ刀でも、犯罪者が握れば命を害する一方、医師が握れば命を救う。この英才たちが、心の中の種をよく育て、その実が世の中をより前向きに変化させることを願う。