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詩人の人間味

Posted February. 25, 2022 07:54,   

Updated February. 25, 2022 07:54

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「姑悪、姑悪!」と鳴く水鳥があった。カッコウやヒクイナのように鳴き声から由来した名前だが、民間では姑の虐待に耐え切れず命を絶った嫁が転生したのが、まさに「姑悪鳥」だという伝説が出回った。嫁姑間の対立がもたらした古い恨みが積もったせいだろうか。姑悪鳥の鳴き声から、人々は「姑は悪い」という意味を読み取った。

詩に添えられた詩人の説明。川辺で姑悪鳥の鳴き声を聞いて胸が痛んだが、ちょうど一人の旅人が、「この鳥は、親不孝な嫁の化身だろう」と愚痴をこぼしたという。その旅人は、「嫁が悪いという姑の話は根拠があるが、姑がひどいという嫁の話は本当なのかはよく分からない」と意地を張った。詩人が嫁の肩を持って、独り言のように言う。「姑が悪くなかったら、嫁は死ななかっただろう」と。死後、どうのこうのと言い分が多いのも気にくわない。雰囲気から見れば、旅人を厳しく叱責してもおかしくないが、心の中で嫁擁護の言い訳を繰り返している。しかし、礼教主義の社会で、これほど嫁の肩を持つ士大夫も珍しいことではなかっただろう。蘇東坡にしてもそうだった。彼は、「姑悪、姑悪!姑がひどいのではなく、嫁が薄命なのだ」という詩句を残した。運命論的に片付けてしまった東坡に比べて、范成大の詩には薄くても人間味が漂う。