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くすぐったい言葉

Posted February. 16, 2022 09:07,   

Updated February. 16, 2022 09:07

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西洋では、家族間で「愛している」という言葉を頻繁に使って暮らしていそうだが、必ずしもそうではない。世界的な法医人類学者のスー・ブラックが書いた死に関する名著『残っている全てのもの』には愛しているという言葉を言えない母親と娘の話が出てくる。自分の話だ。

 

母親に死が迫っていた。モルヒネを打ち、昏睡状態に陥っていた。彼女は2人の娘を連れて最後に母親を訪ねた。彼女は人が死ぬ時、最後になくなる感覚が聴覚という研究結果を知り、10歳と12歳の娘たちと「サウンド・オブ・ミュージック」に出てくる家族のように歌を歌うことにした。母親が好きな歌も歌い、スコットランド民謡も歌った。医師と看護師は3人が和音も合わずに歌う姿を見て笑った。彼女らの歌で、暗く憂鬱な病室の雰囲気が明るくなった。

 

3人は疲れるほど歌を歌った。これ以上歌う歌がなかった。もうお別れの時間だった。彼女らは患者の手を握って唇をぬらしてやり、髪をといでやった。彼女らの目から涙があふれ出した。彼女は娘たちに2人だけにしてほしいと出て待つように言った。ところが娘たちがいることになると言葉が出なかった。これまでありがとうと、愛していると、会いたくなると言いたかったが、言葉にならなかった。「うちの家族はそのようなくすぐったい言葉を口にしたことがなかった。」愛という言葉が氾濫する世の中だが、彼女らスコットランド人にはその言葉を口にすることが「エイリアンに会うことぐらい奇異」なことだった。妙なことに、彼らは表現にケチな韓国人に似ている。そのような感情がないからではなかった。愛は言葉ではなく心から心に伝えられるものだからだ。自身のそばを永遠に離れる母親に向かって娘が感じる感情は愛という言葉では表現することができないものだった。これが言語の限界だ。私たち人間が持っている最も重要な象徴という言語が持つ限界。私たちはしばしばそれを忘れる。