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疲れるユートピア

Posted February. 14, 2022 07:49,   

Updated February. 14, 2022 07:49

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「知恵の最後の結論はこういうことになる。自由も生活も、日毎にこれを戦い取ってこそ、これを享受するに値する人間といえるのだ、と。従って、ここでは子供も大人も老人も危険に取りまかれながら、有為な年月を送るのだ。…そうなったら瞬間にこう呼びかけよう。止まれ、お前はいかにも美しい、と」(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ『ファウスト』)

 

ドイツ文学の教授ならゲーテをよく知っていそうだが、ドイツ現代文学専攻者としてゲーテという世紀の巨匠は正直に言って難しく感じられる。にもかかわらず、大学時代に授業で出会ったこの文章は今も頭に浮かぶ。悪魔と契約を結び、様々な実験をしたファウストの話は、彼が社会的ユートピアを建設しようとして最高点に達する。ところがここで出てくるユートピアの姿が異彩を放つ。安らかで怠惰なユートピアではなく、新しく干拓した土地に建てられ、毎日防波堤の外の荒々しい波と戦って守らなければならないユートピアだからだ。なぜ強いて努力してこそ維持されるユートピアを描いたのだろうか。

思うに、私たちの社会は平凡な日常を守るためにあちこちで戦わなければならない。以前は当然だと思ったことも、今は努力してこそ維持することができる。こう考えると、ファウストのユートピアがもう少し現実味をもってくる。

ところで、この一節の中には、さらなる反転がある。ファウストは希望に満ちた建設現場の音を聞き、目をとじるが、それは幻想にすぎなかった。その音は、ファウスト自身の棺を作る槌の音だった。ゲーテは当時、人類が進入した現代の入り口で、発展一辺倒の時代の虚像を察知したのかもしれない。だが、苦労して維持されるこのユートピアのモデルは、現代を生きていく人々に小さな慰めを与える。平穏な一日を守るために孤軍奮闘するあなたこそ、日常という大切なユートピアを享受する資格があるのだ。