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詩人の運命

Posted February. 11, 2022 08:49,   

Updated February. 11, 2022 08:49

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詩心が井戸の水なら、筆とすずりは滑車で、詩を吟じることはつるべで水を汲むのと同じなので、詩をくみ上げるのに役立つ道具となる。口で詩を吟じ、まめに手を動かして「透明ですっきりした」詩句をくみ上げるのが詩人の責務だ。つるべで水を汲むことを止めれば、詩心は腐るか干上がってしまう。なぜつるべで水を汲むことを繰り返すのか。好みが特に高尚だとか、詩題が特別だからというわけではない。苦慮を繰り返し、詩語を選択する慢性的な詩癖のためだ。「詩2節を3年かけて得て、一度吟じてみると、涙が流れる」とまで言ったほどだ。「文字の中に苦悩があふれる」という言葉は冗談ではなく本心にちがいない。大げさだと言われるか照れくさかったのか詩題を「冗談で」とした。休むことなくつるべで水を汲む詩人の疲れる運命を友人も共感しただろう。

 

苦しみを甘受して詩句を探し、整えることを繰り返す詩人を「苦吟詩派」と呼ぶ。そのような態度が現実的な鬱憤に起因したのか、芸術的潔癖症のためなのかはわからないが、「一斗の酒を飲みながら、詩を百首作る」という李白の豪気とは対照的な個性だ。「私の傷をなめ/生きていく人/一度ではなく/続けざまに何度も/続けざまに数回ではなく/生涯を置いて/私の傷を大切にし/死んでいく人、詩人。」(ナ・テジュ「詩人」)昔も今も似た運命だ。