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好奇心で還暦に南極行き…白い大陸で会ったペンギン、オーロラ、そして人生

好奇心で還暦に南極行き…白い大陸で会ったペンギン、オーロラ、そして人生

Posted February. 08, 2022 09:18,   

Updated February. 08, 2022 09:18

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生涯を医師として働き、還暦を迎えた。専門職なので引退はないが、人生に虚しさを感じた。ある時、偶然に南極の張保皐(チャンボゴ)科学基地で1年間勤務する越冬研究隊の医師の求人広告が目についた。30、40代の若い人が勤める酷寒の勤務地だった。この年齢で無理ではないかと考えるもしばし。胸が高鳴った。新しいことへの好奇心、未知の地を切り開く挑戦の精神で、南極で一人、隊員の健康の責任を負った。最近、エッセイ『南極日記』(ミダスブックス・写真)を出した外科専門医キム・ヨンス氏(68)の話だ。

キム氏は3日、東亜(トンア)日報の電話取材で、「2013年、偶然に大韓民国の砕氷船アラオン号の善意で乗船し、3ヵ月間、冬の南極海を航海したが、1年間滞在する張保皐科学基地の勤務は次元が違った。しかし、『もう機会はない』という思いで、15年11月から16年11月まで南極の張保皐科学基地の越冬隊員医師として働いた」と話した。

南極の極夜の期間には陽の光を浴びることができず、不眠症とうつ病にかかるほどだ。それだけ侮れないところだ。

 

「親が亡くなっても帰ることができないと覚悟するほど固い決心で行きました。16人の隊員の中で私が最も年上でした」

張保皐科学基地の医師は、越冬隊員16人と研究と補給のために基地を訪れる研究者数百人の健康に責任を負う。一人で勤務し、患者を診察し、麻酔、手術も、看護もする。急病患者が出ても、海が凍りつけば砕氷船が航行することができず、移送する交通手段もない。医師が基地内の病院で手術するほかない。

 

緊急事態も度々生じた。2016年1月、隊員1人が腹痛を訴えた。超音波検査をしてみると、大腸壁に炎症ができる憩室炎にかかった可能性が高かった。命の危険もあったが、患者を1万3千キロ離れたニュージーランドに移送することは容易ではなかった。キム氏は、「3日間、ほとんど眠らずに患者を治療した。患者は10日後に回復し、移送せずに済んだ」と話した。

キム氏は最近、英作家デイビット・デイが書いた南極探険の歴史書『南極大陸』(ミダスブックス)を翻訳した。

 

「700ページを超える本を翻訳したのは南極に対する愛情のためでしょう。今でも南極の空気がどうだったのか、ブリザードがどれほど激しかったのか、夜空とオーロラにどれほどうっとりしたか、ペンギンがどのように生きていくのか思い出します。酷寒を経験した後、人生に感謝するようになりました。新しいことに挑戦するなら、老いることなく幸せに暮らせるということを悟りました」


イ・ホジェ記者 hoho@donga.com