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海3

Posted February. 05, 2022 08:24,   

Updated February. 05, 2022 08:24

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「論語」を見ると、「知者樂水」、「仁者樂山」という言葉がある。賢い人は水を好み、優しい人は山を好むという意味だ。登山する方々は、特にこのフレーズが好きだ。やはり知者よりは、仁者がもっと優位にあると考えることもある。しかし、優劣は関係ない。海と山はお互いに対抗しない。一人の人生において、海と山が次々と訪れたりもする。詩人の鄭芝溶(チョン・ジヨン)がそうだった。

鄭芝溶は、若くして海の詩を何本か書き、もう少し年を取ってからは山の詩を書いた。海の詩は感覚的に卓越しており、山の詩は精神的に深い。その中で何が増しかと聞かれたら、答えられない。しかし、どちらがもっと好きかと聞かれたら答えることができる。まだ慈しみ深さが足りず、より賢くなりたいのか、私は鄭芝溶の海の連作が好きだ。

そのうちの一つが今日の詩だ。全体が6行の詩。それだけでもぎっしりつまっている詩。この詩を見ると、大きな夜の海の前に立っている一人、とりわけ背が低かったといわれる鄭芝溶が見える。人間は海より大きいものではない。しかし、夜の海全体を前にしても、この詩人は小さくない。彼の寂しい心は、海も夜も呼び出すほど大きい。

どうして百年前にこんな詩を書いたのだろうか。彼には、詩の学校も詩の先生もなかった。忠清北道沃川(チュンチョンプクト・オクチョン)生まれだから、海に早くから接したわけでもない。学業のために日本へ行き来する船路で、彼は海を見た。寂しい甲板で一人で書き下ろした詩は、100年を越えて生きた詩となった。「この詩人は天才で、彼の詩は教科書だ」という言葉は誇張ではない。

文学評論家