Go to contents

命がけの直言

Posted February. 04, 2022 11:13,   

Updated February. 04, 2022 11:13

한국어

唐の憲宗が仏舎利を宮中に迎えようとすると、刑部侍郞だった詩人は、これに激しく反対する表文を捧げる。仏教信奉が、国運と帝王の寿命にまで悪影響を及ぼすということを、歴史的事例まで挙げて反論した。儒家の盟主らしい勇気だったが、皇室の根深い崇仏伝統を無視した結果は惨憺たるものだった。皇帝はその日をもって、彼を「南の蛮族の地」と蔑視していた広東地域の潮州刺史に放り出した。死刑が下されてから左遷に減刑されたのが、幸いといえば幸いだった。

皇帝の命令と同時に、直ちに任地に離れた詩人。長安を脱して南間に着いた時、山頂の雲に隠れてもはや故郷は見えず、雪に覆われた関門が行く手を阻む。この時、孫にあたる親戚の韓湘が訪ねてくる。険しい旅程に伴うという意味だ。ところが、亜熱帯風土病についてよく知っていた詩人は、「毒気漂う川辺」を思い浮かべ、死を控えたかのように絶望にとらわれる。当初、詩人は、「仏に霊験があり、私の体に災いを降ろしても甘受する」という悲壮な覚悟で直言したが、皇帝が下した「災い」に落胆して、ひざまずいてしまったのだ。後日、彼は国子祭酒に復帰し、これにより、大儒学者の命をかけた直言は歴史の美談となった。