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Posted January. 29, 2022 08:27,   

Updated January. 29, 2022 08:27

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影はないようにしてある。無彩色のくせに、いつも重く後れを取っているもの。多くの人々が無慈悲にも踏んで行っても痛いと声を上げることができないもの。ただ、ずるずる連れまわされ、人が死ねば共に消えるのが影の運命だ。

使い途のない影でも、詩人だけは結構好んで重視した。近い人で言えば、金素月(キム・ソウォル)が魂を影のようなものだと表現したことがある。中国の李白は「月下独酌」で、月と私と影の3者が集まって酒を飲むと言った。古来から多くの人が、影をもう一人の私、あるいは魂と考えたようだ。科学的には話にもならないが、影に入り込んだ話はとても多い。

 

あるけれどないような、私たちが見逃している私たちの一部が影だ。それは、私たちの中にもあって、私たちの足元にもあり、私たちの外側にもある。詩人の咸敏復(ハム・ミンボク)氏は、その中からいくつかをつないで詩にした。花が簡単に散るのが寂しいので、影に色があればいい。母親の曲がった腰が切なくて、影であってもまっすぐになってほしい。物貰いが疲れて寒いので、影であっても暖かかくいてほしい。

花も母親も物貰いもみなもの悲しいが、影はその中でもさらに疎外された部分だ。これを発見した詩人の目が尊く、そこに含まれた温かい視線が尊い。尊くならざるをえない。影がある場所はもっと寒い冬だから。