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本心より結果

Posted January. 18, 2022 08:30,   

Updated January. 18, 2022 08:30

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1950年12月31日、新年を控え、中国共産軍が3次攻勢を強行した。幽霊部隊と表現されるように、中国共産軍は30日、塹壕の中に潜伏して攻撃を準備した。用を足しに塹壕の外に出て行くことも禁止した。この攻勢で、臨津江(イムジンガン)戦線が突破され、国連軍がソウルの南にまで押された。記憶に新しい「1・4後退」はこの攻勢の結果だ。

 

2日前の12月29日、鴨緑江(アプロクカン)を目前にした国連軍が、中国共産軍の介入で臨津江まで押されると、米統合参謀本部は韓国戦争に勝算はないという判断を下す。「国連軍は中国共産軍に勝ち抜く力はない。国連加盟国にさらに多くの兵力増員を要請することは不可能だ。韓国の地形は私たちに不利だ。米国はこれ以上の地上軍を派遣できない。米国は、世界大戦になり得る賭博を韓国の地で行うことはできない」

統合参謀本部は、マッカーサーにひとまず錦江(クムガン)防御線まで後退し、中国共産軍を阻止せよと言う。「錦江防御線まで崩壊すれば、日本に撤収する」

マッカーサーは非常に怒った。強い語調で、米国は韓国を絶対にあきらめてはいけないと主張する手紙を書き、極端な手段まで言及して中国共産軍を防御でき、防御しなければならないと主張した。

米国の知性界には今でも韓国戦争への参加は誤りで、米国の若者が不必要な戦場に行って血を流したと嘆く人が多い。彼らは、マッカーサーが言及した極端な手段を嘲弄する。マッカーサーは韓国のためではなく大統領病にかかり、敗北という屈辱を受け入れることができなかったため、話にもならない主張をしたというのだ。統合参謀本部の人々もそのように考えた。

このきわどい状況で、国連軍は3次攻勢に圧倒されたが、耐え抜き、4次攻勢を阻止した。戦争放棄という主張が1ヵ月で消える。マッカーサーの本心が何であれ、大韓民国はその恩恵を受けた。私たちに重要なことは本心ではなく結果だ。それが国際政治だ。

歴史学者