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「アフガンの少女」、タリバン占領後にイタリアへ

「アフガンの少女」、タリバン占領後にイタリアへ

Posted November. 27, 2021 08:34,   

Updated November. 27, 2021 08:34

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1985年にナショナルジオグラフィックの表紙に「アフガンの少女」と題する写真で登場し、戦争の残酷さを伝えたアフガニスタンの女性、シャーバート・グーラーさん(49)が、イスラム主義勢力タリバンのアフガン占領後、イタリアに避難したと、AFP通信などが25日(現地時間)、報じた。

AFP通信によると、イタリア政府は同日、「アフガン市民グーラーさんがローマに到着した」とし、「彼女がイタリアに来たのは、アフガン市民らの避難と彼らの受け入れ・統合に向けた政府計画の一環」と明らかにした。グーラーさんは、非営利団体の助けでイタリアから脱出することができた。イタリア政府は、非営利団体の要請に応じてグーラーさんを受け入れることを決めた。

アフガン出身のグーラーさんは、写真が撮影された84年、当時12歳でパキスタンにいた。79年に始まった旧ソ連のアフガン侵攻で多くのアフガンの人々と同様、孤児になったグーラーさんはパキスタンに避難していた。

米報道写真家のスティーヴ・マッカリーさんが、難民キャンプでグーラーさんに会って写真を撮り、ナショナルジオグラフィックが表紙に写真を載せ、グーラーさんは戦争によって疲弊したアフガンの現実を象徴する人物として一躍有名となった。両親を失ったグーラーさんの強烈だが悲しみに打ちひしがれた緑色の瞳は、多くの人々の心に刻まれた。写真はレオナルド・ダ・ヴィンチの傑作「モナリザ」を連想させ、グーラーさんは「アフガンのモナリザ」とも呼ばれた。グーラーさんは2002年、ナショナルジオグラフィックのチームが再び訪れて、「どうやって生き残ったのか」と尋ねると「神の意志」と答えた。

アフガンの主な派兵国の1つであるイタリアは、タリバン政権樹立後、アフガン難民の受け入れに寛容な立場だ。今年8月中旬、タリバンがアフガンを制圧した後、9月初めまでにイタリアが避難させたアフガンの人々は5000人にのぼる。アフガンの初の女性検事総長だったマリア・バシルさんも9月にアフガンを離れてイタリアに来た。イタリアは今月初め、バシルさんにイタリアの市民権を与えた。


黃聖皓 hsh0330@donga.com