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独裁は「扇動の技術」

Posted November. 16, 2021 08:34,   

Updated November. 16, 2021 08:34

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ペロポネソス戦争後期、ソクラテスの弟子であり友人で、野心家だったアテネのアルキビアデスは、主敵のスパルタではなく突然シラクサの侵攻を主張する。アテネは史上最大の艦隊をシラクサに派遣する。遠征は惨敗に終わり、アテネ没落の決定的な要因になった。

この遠征はシラクサにも大きな影響を及ぼす。シラクサは当初、アテネ艦隊の威容に驚いて降参しようとしたが、ヘルモクラテスの反対で抗戦を決めた。ヘルモクラテスは戦争を勝利に導き、英雄になった。当然、権力がついてきた。アテネの侵攻をはね除けた見返りに、シラクサは独裁の道を歩むことになる。ヘルモクラテスの婿だったディオニシウス1世は職人の権力を利用して自身の権力を築いた。ディオニシウスも将軍としてカルタゴの侵攻を防いで国民的英雄になり、ついに僭主を経て王になる。

シラクサに行けばディオニシウスの耳と呼ばれる洞窟がある。ディオニシウスが政敵を閉じ込めて拷問した監獄だったという。ディオニシウスは独裁者だったが、有能で政治力が優れた。文人君主、哲人君主を模倣したディオニシウスは師匠ソクラテスの死で民主主義に対する嫌悪を抱き、新しい政治体制を模索したプラトンをシラクサに呼び入れたこともある。プラトンは、ディオニシウスの息子を教育し、哲人君主の理想を夢見たが、陰謀家で現実政治の達人だったディオニシウスはプラトンの哲人君主論に驚き、奴隷として売り飛ばしてしまう。

ディオニシウスの生涯を見ると、2つのことが思い浮かぶ。戦争は敗れれば敵の奴隷になり、勝利すれば英雄の奴隷となる。そうでない立派な事例も多いが、戦争の英雄が危険な権力者に変身したケースは珍しくない。それは戦争や軍人のせいではなく、大衆の「英雄待望論」、超越的な権力が一気にあらゆる事を解決してくれると信じる性急さのせいもある。それゆえ独裁は本質的には「扇動の技術」なのだ。