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[オピニオン]毎日が新しい日だ

Posted November. 15, 2021 08:32,   

Updated November. 15, 2021 08:32

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老いて行くということは、自ら新しい仕事を始めるということだ。すべての状況は変わる。(…)意志と意識を持って、新しい役割を引き受けるべきだ。(ゲーテの「原則と省察」)

私の日課は、朝食を食べながら朝刊新聞を読むことから始まる。いつからか、訃報記事に注目し、ある人の名前の横の括弧の中に書かれた数字と自分の年齢を比較する。その数が自分の年齢より少ない時は老けてしまった自分を実感し、多い時はその分人生の余裕を感じる。

死ではなく、生が死の質を決める。記事化された死だからといって、その死が立派なものではなく、人生がそうだというのだ。だから人は死ぬまで、生に忠実でなければならない。それが「顔代」で「年相応」だ。人はそれに値するものをやらなければならない。殊に老年ではそうだ。

どうせ老いと死は防ぐこともできないのだから、私たちはこれらを人生の過程として親しく受け入れることで、少なくとも老人の存在が無駄にならないように努力しなければならない。老いていくにつれ悲しくない人がどこにいるだろうか、しかし、このように年を取るということに軽い喜びまで感じるようになったのは、それなりの「老年に対する省察」のおかげだ。「毎日が小さな人生」というショーペンハウアーの言葉のように、毎日が新しい日だ。問題は自分が新しい日をどう過ごすかということだ。予測できない未来の夢より、今日、私の人生で一番若い「今」に集中しようと努力したいと思う。肉体は老衰していくが、精神的に若さを保ちながら人生の価値を感じる時が「今」で、自ら成し遂げた人生の実への反芻の趣を吟味する時が「今」であるからだ。まだ病院で横になっておらず、依然として外見に気を使い、大小のことをやり遂げられるので、「今」が満足ではないか。私たちは若い気持ちで自分の仕事を愛している限り、毎日老けていくのではなく、毎日新しくなるのだ。何かをするにはいつも若い。