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母の文章

Posted November. 01, 2021 08:53,   

Updated November. 01, 2021 08:57

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私は見知らぬ土地に仕方なく連れ去られていた。連れて行かれているという思いから、急な坂を登りながら墜落しているような恐ろしい恐怖感と、スピード感を味わっていた。ついに私たちは峠の頂上に立った。「見ろ、松島(ソンド)だ。都会だ」(朴婉緖の「母の杭1」)

私はこの小説「母の杭」の始めに出てくる文章を読むたびに、新しい感じを持つようになった。最初に出版された1980年にもこの小説を読んだが、その時は理解できず、その意味について考えることができなかった。この文章が頭と胸に響いて衝撃を受けたのは最近だ。

子供が祖母と母に連れられて、楽園のような故郷を離れて開城(ケソン)駅に向かう道だ。「ノンバウィ峠を登りながら墜落を感じ、恐怖と速度感を味わう」と言ったその文章を読むと、母親文学の序曲が鳴り響くような感じを受ける。未来に向けた英知ではなかっただろうか。私はよく母親文学で勇気と力を得たと言われている。そうすれば、そのまま黙ってうなずく。

母の書いたものが苦痛な時があった。個人の痛みと時代の傷を掘り出して向き合うのが大変だった。しかし、もはやこのような文章を繰り返して読めば、恐怖は消える。子供たちの中に隠れた大きな力を見るようになる。もう晩年に至った私さえ、まだ近付いていない世の中に好奇心と期待を抱くようになる。

母親の文学には、現実を直視させながらも、へこたれないようにする力があると思う。「母の杭」には、「新女性というのは、勉強をたくさんして、世の中の道理について知らないことはなく、何でも好きにできる女性」という一節がある。このくだりが、あの当時の女性だけでなく、男性を含むこの時代のすべての人々に該当する言葉ではないかという発見をし、今になって驚いた。文章のように、多くの人が世の中の道理を悟って、自由に進んでいく状態を描くようになる。