Go to contents

イム・ヨンハンの戦争史

Posted October. 26, 2021 08:57,   

Updated October. 26, 2021 08:57

한국어

アテネの沖合にアイギナという島がある。山に登ればアイギナ島がはっきり見える。ピレウス港で旅客船に乗れば30~40分程で到着する。韓国の観光客には知られていないが、アテネの人々は週末のピクニックや避暑地として人気だという。

今は平和だが、アテネの成長期に2つの都市は海上貿易の覇権をめぐって国運をかけた対決を行った。海上貿易でまずリードしたのはアイギナだった。ヘロドトスの歴史によると、戦争が起こったのは神殿にある神像のためだった。その神像は、アテネのオリーブの木で作られた。だが、アテネ人が自分たちのものだと無断で持っていこうとして戦闘が発生したという。エーゲ海では、かなり以前から貿易船と海賊船の区分が曖昧だった。アイギナの三段櫂船も、しばしばアテネ近郊の村を襲撃したようだ。海賊の質と報復で似たような事件が多く起こったことだろう。

ところでこのときの事件はとんでもない結果を招く。アテネの兵力は全滅し、一人だけ生きて帰った。すると、犠牲者の妻たちが彼を取り囲んだ。彼が一人だけ生きて帰ってきたということに憤怒した妻たちは、服をとめるブローチで男を刺した。おそらく青銅制だった時代、ブローチは今より大きく凶器に近かった。彼は、ブローチで刺されて死んだ。妻たちの怒りは理解するが、このような報復は正当な行為ではない。しかし、男性上位の社会で知られたアテネの男性たちも、この女性たちを処罰できなかった。すでに死んだ人はあきらめ、新たな犠牲者を防ぐことにした。彼らは、ギリシャの伝統衣装を捨て、ブローチを付けずに着ることができる小アジア式の衣装を導入した。

この呆れたエピソードが与える教訓は何か。伝統は簡単に変えることができず、変えてもならないと話す人が多い。しかし命がかかればどうか。伝統の不変を主張する人は、ブローチも凶器になり得るということを知らないためではないだろうか。