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他人の心を感じるということ

Posted July. 19, 2021 08:28,   

Updated July. 19, 2021 08:28

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「与えない愛は、背負って運ぶ苦痛だから」(パク・ノヘの詩の絵本「青い光の少女より」)

遠い惑星から地球に不時着した少女に、詩人が地球での暮らしについて語る。彼は、地球に美しい自然と子どもたち、正義、愛があるが、人生の有限さ、人間のエゴ、所有欲もあって悲しいと言う。少女は詩人に地球を離れることを提案するが、彼は愛を伝えなければならないと断る。与えない愛は苦痛だという理由からだ。

愛する心だけでは足りず、愛を与えられなければ苦痛まで受けるというのはなぜだろうか。先日、給食ボランティアで出会ったとある聖職者を通じて、この文章の意味を悟った。氏は、新型コロナのために給食所が閉鎖の危機に置かれると、ホームレスたちが食事を抜きながら経験する無気力さと挫折を感じ、一晩中泣いたという。相手の痛みに深く共感すれば、その苦痛まで感じる愛の段階に至るという詩人の言葉が再び思い浮かんだ。

それだけの愛ではなくても、誰かの心を推し量ること、共感は現実問題を解決する時も必要だ。弁護士として幾多の争いを相対にして暮らす。多くの争いが発生すれば、当事者は相手の視線よりも、各自の立場に埋没して膠着状態に陥ることが珍しくない。弁護士も相手の弱点を探し、自分の主張を強固にする方法をまず考える。

しかし、自分の主張と論理だけを掘り下げるよりも、相手が直面した状況に共感する時、むしろより簡単に紛争を解決する可能性が高まる。時に良い弁護は、争い当事者間の是非を問うのではなく、争いの裏に隠れた狙いを把握し、各自が相手の状況を理解するよう助けることにある。争う人々がお互いに共感し、満足する合意点を見出すことができるように助けることが、地球での暮らしをより価値あるものにすることだと信じる。