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壁時計が取り外された場所

Posted June. 26, 2021 08:09,   

Updated June. 26, 2021 08:10

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知らず知らずのうちに人は生命を愛する。反対に生命以外の「事物」に対しては、少し冷たく見る傾向がある。「私物化」という言葉が代表的な例だ。人が主体になれず、道具に転落することを「私物化」と表現する。

しかし、詩では状況が多少異なる。詩は、さびついた空き缶、焼け残った煉炭、陶器のかけらも軽く見ない。魂もなく血も流れない事物も、私たちの詩心を刺激することができる。聞きなれない話ではない。性理学でも、事物を媒介体として心性を正しく修養することができると教える。詩もこれと少し似ているが、詩人は事物を媒介体として自身の心象を覗き見る。簡単に言えば、事物は一種の通路で案内者だ。私たちはそれの手を握り、考える、感じる、見る。普段聞くことができなかった事物の言葉を通じて、私たちははじめて「自分自身の言葉」を知る。

よく分からないなら、この詩を読んでみよ。詩人は、壁時計と、壁と、取り外された跡を眺めている。口もなく言葉もない事物だが、詩人はそれらと対話することができる。静かに、ゆっくり待てば、壁時計がささやく。空いた壁から意味が立ち上がってくる。取り外された跡、なくなった事物も何かを教える。驚くべきことではないか。ユーチューブやポータルの一方的な情報伝達に疲れたなら、話しかけてみることを勧める。目の前の事物に、消えた事物に、または自分自身の中に隠された心にも。

文学評論家