Go to contents

雪に映った事情

Posted January. 29, 2021 08:13,   

Updated January. 29, 2021 08:13

한국어

雪を扱った詩には、それぞれ事情が雪のようにどっさりと積もっている。「雪の詩」を読むとき、特に優しい感じがしたり、その意味が強く感じられるのもそんなそれぞれの事情のためかも知れない。

「雪を踏みながら野原を歩くときは、無造作に歩いてはいけない。今日の私のこの足跡、結局は後ろの人の道しるべになる」と言った西山(ソサン)大師の「踏雪歌」には、深い思いやりが込められている。降りしきる雪の中、「遠くに女の服を脱ぐ音」を聞いた金光均(キム・クァンギュン)の「雪の夜」は、かすかな悔恨と思い出を呼び戻す切なさが溢れている。「真冬の忘れられない人と/寒溪嶺(ハンゲリョン)を越えているうちに意外な大雪に見舞われたい。…おお、まぶしい孤立/四方が白いだけの童話の国に足ではなく運命が縛られていたら」(文貞姬「限界令のための恋歌」)のように、いかにも挑発的でありながら蠱惑的な事情もある。

蓑をまとって笠をかぶった老人が、一人で釣りをする江村の雪景色を描いたこの詩には、どのような物語が盛り込まれているだろうか。釣り竿を垂らした懐かしい場面は、平和な江村を思い浮かばせるが、画幅の中の静かな雰囲気とは違って、詩人の境遇は暗澹としていた。政治改革に参画したが失敗して長安を追われて、遠く南へ左遷された詩人。主流社会から排除された彼は、なんと10年もの歳月を流罪人のように送らなければならなかった。鳥の羽ばたきも人間の足跡も消え去った江村は、断絶と閉塞で点綴された詩人の孤寂な暮らしを投影したのだった。

成均館(ソンギュングァン)大学名誉教授