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6月25日の朝

Posted June. 23, 2020 08:19,   

Updated June. 23, 2020 08:19

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韓国戦争勃発直前、韓国軍兵力は8師団、約9万5000人で、38度線には4つの師団が配置されていた。北朝鮮軍は10師団、17万5000人で、8万人ほどが多かった。38度線の兵力差はさらに激しく、7つの師団と戦車旅団が配置されていた。南北間の戦力差について語るとき、北朝鮮軍には242台あった戦車が、韓国軍は一台もなかった例を挙げたりするが、それに劣らぬほど重要なのが砲兵火力である。現代戦で、野砲の決定力は一般人が想像する以上である。砲兵の火力はほぼ6倍の差があった。

作戦当日はもっと奇妙なことが発生する。北朝鮮軍の大部隊が38度線に集結して、戦争準備に突入していたから、異常な兆候に気づかないはずがない。諜報が上がったが、強力な諜報隊を組織して確認せよ、という回答がきた。その諜報隊が偵察を行って、南侵を開始した北朝鮮軍の主力と出会った。国軍も異常兆候に気づいて、1月間非常警戒令を下していたが、6月23日に警戒令を解除した。これまで苦労させたという理由で、兵力の半分を外出外泊させた。24日、師団長たちは陸軍将校クラブの宴会に出席するためにソウルに来ていた。これはよく知られていることだが、約1ヶ月前に主要指揮官が交代したことは、知らない人が多い。指揮官の交代は定期人事といっても、一度に交代してはならない。ほぼすべての指揮官が、現場把握や部隊の把握もしていない状態だった。

客観的戦力が半分にも満たない状況で、防御計画は現実性を欠けていた。師団の連隊は非効率的に配置されていて、白善燁(ぺク・ソンヨブ)将軍の証言によれば、第2、第3線の防御ラインも樹立されていなかった。「一寸の土地も敵に渡すことなどできない」という名分論のせいだった。戦力が優勢でも、相手の準備がしっかりしていて、圧倒的な勝利を確信できなければ、そうやすやすと戦争は勃発しない。逆に戦力が優勢でも、戦術的対応の準備が間違っていて、戦争準備がずさんなときに限って戦争は起きる。韓国戦争の真の教訓は、これではないだろうか?