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現代のテノール中、最も「偉大な声」

Posted December. 23, 2019 08:13,   

Updated December. 23, 2019 08:13

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ロン・ハワード監督のドキュメンタリー映画『パヴァロッティ』はサウンドトラックの半分以上がジャコモ・プッチーニ(1858~1924)のオペラのアリアで埋め尽くされた。

テノールのルチアーノ・パヴァロッティ(1935~2007)はプッチーニオペラの優れた解釈で知られているが、映像に移された彼の人生がプッチーニの人生を思わせるとは想定外だった。二人とも身長が高く、親切な男だ。憂さを漂わせるとダンディーなプッチーニと、膨よかな体で両手を広げながらあどけない笑顔を見せるパヴァロッティでは、かなり印象が違う。しかし、二人ともたくさんの女性に囲まれた大家族の中で厳しい幼少期を過ごした後、世界の人々を虜にする声楽芸術の巨匠になった。

女性に対する愛から人生と芸術の刺激を求めたところも似ている。人はパヴァロッティがオペラ・スターとして人生の伴侶となった夫人と、秘書出身の二番目の奥さんしか知らない。ネダバレを気にせずに言うなら、長い間関係を持った第三の人物が登場する。「秘書」も実は秘書でなかった。

映画はドキュメンタリーとして充実に描かれた。意外性はない。その代り、興味深いこの芸術家の人生そのものにグイグイ引き込まれる。英国のダイアナ妃から始まって「同僚」プラシド・ドミンゴとホセ・カレーラス、幼い頃彼の訪中を聞いて興奮したピアニストのランランまで、大勢の有名人が資料画面を飾り証言を放っている。

1990年代以降、オペラ舞台から離れ、ロッグバンドU2のボノをはじめ大衆アーティストと共に舞台に立ったことは古いファンと評論家からの厳しい批判を招く。晩年、慈善事業に貢献したことも構わなかった。監督はパヴァロッティ周辺にいた人物の立場を忠実に伝える。ダイアナ妃を含む著名人との交流、晩年の新たな恋ニコレッタの関心事などが彼を新しい世界に誘われた。

映画に映らない事実はこうである。パヴァロッティの選択は彼なりに賢いものだった。「当時のパヴァロッティ」が「過去のパヴァロッティ」を決して超えられないことを知った彼は、活動範囲を広げていった。ほぼ最期まで彼の声質は日差しのように暖かく煌びやかな艶があった。しかし、その声をコントロールする力が衰え、特に呼吸が短くなり、伴奏者と同僚の声楽家が彼にテンポを合わせるしかなかったことは、1990年の初三大テノール・コンサートから明らかだった。

パヴァロッティは現代に出現したテノールの中でも最も偉大なる「楽器」、その発声器官を誇った。全盛期には楽器を演奏する腕前にも唸った。「ライバル」だったドミンゴは「パヴァロッティは口を開きさえすれば全ての音を奏でた」と映画の中で証言する。しかし、その楽器の管理に至ってはドミンゴよりパヴァロッティは不得意だった。

少年時代からの友達でありオペラ舞台の中心パートナだったソフラノ歌手、ミレッラ・プレーニが一言も喋らないのは不思議だ。孫娘の出生を機に「昔の家族」と「新しい家族」が和解したことは強調されているが、パヴァロッティが亡くなった後の遺産を巡る対立については触れない。問題が解決したからこの映画が出た、ということだろうか。

1977年、彼の初の来韓実況放送を録音し、その冬はテープが伸びるまで聞いたことを思い出しながら映画を鑑賞した。別れたアドゥア夫人は最後に「彼は普通の人よりウワテだった。周りによく施し、特に偉大な歌手だった」と振り返る。そのような人生を垣間見ることが出来て幸せだった。同時に味わえた音楽は「おまけ」と言うにはあまりにも美しすぎた。12歳情観覧可。2020年1月1日公開。


ユ・ユンジョン記者 gustav@donga.com