Go to contents

崔銀姫と金正日

Posted April. 18, 2018 08:34,   

Updated April. 18, 2018 08:34

한국어

「遠路はるばる起こしいただきまました。金正日(キム・ジョンイル)です」。1978年1月、香港で拉致され、北朝鮮の地を立った崔銀姫(チェ・ウンヒ)氏を迎えたのは、国防色ジャンパー姿のくせ毛の若者だった。当時、韓国では金正日氏が病床で植物人間になったというデマが広まっていたが、船着き場で韓国女優の前に現れ、握手を求めた。正日氏は5日後また来て、このような冗談も言った。「崔先生から見て私はどうですか。ずんぐりしたチビじゃないですか。ハッハッハッ」。

◆自分の身体的コンプレックスを冗談にする金正日氏の「自虐ギャグ」は、彼が持つ権力の大きさを逆説的に誇示する自信の表れだった。当時、韓国をはじめ欧米の情報機関では、北朝鮮の最高権力者の息子について知っていることはほとんどなかった。30代後半の金正日氏は、すでにすべての権力機関を掌握していた。彼の一言で、スパイ映画にでも出てくる拉致が現実になり、夜には側近を呼んで秘密パーティーを開く実質的な権力者だった。

◆ヴェールの中の正日氏の実状は、8年後に崔銀姫、申相玉(シン・サンオク)夫妻が脱出した後、世の中に知らされた。夫妻が録音した4本のテープには、正日氏の肉声も入っていた。そこには正日氏が90分以上速射砲のように一人で話すのもあった。「男を連れてくるのは無理だ。申監督を誘惑するには何が必要か。それで崔先生を連れてきました」。いわゆる「文化交流」のために申相玉氏が必要で、そのために崔銀姫氏を利用したというとんでもない自己正当化だった。

◆崔銀姫、申相玉夫妻は1986年に脱出しても、米中央情報局(CIA)が用意した家で隠遁生活をしなければならず、89年に一時帰国しても中央情報部で調査を受けなければならなかった。北朝鮮への拉致、その後の10年余りの亡命生活は老年まで深い傷として残った。崔銀姫氏は自叙伝『告白』のエピローグで、迫る死を「拉致」に例えた。「おそらく今回拉致されたら、永遠に帰ってくることはできないだろう。そちらは北ではなく地球上にはない国だから」。


イ・チョルヒ記者 klimt@donga.com