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中曽根氏が全斗煥氏に靴下を送ったわけは

中曽根氏が全斗煥氏に靴下を送ったわけは

Posted January. 11, 2014 03:44,   

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白潭寺(ペクタムサ)の冬は長く寒い。全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領はそこで25ヵ月間過ごした。「第5共和国の清算」を求める怒れる民心に追われるようにして、ソウル延禧洞(ヨンヒドン)から住居を移した。1988年11月からだ。全元大統領は「島流し」が解けた後、白潭寺時代を振り返り、「最近のような冬にはトイレも凍りつく」と話した。

ある日、白潭寺に思いもよらない物が送られてきた。日本の中曽根康弘元首相がひそかに送ったウールの靴下と音楽CD、羊かんだった。山奥の酷寒の中で権力の無常に耐えていた全氏が、中曽根氏の心配りをどう感じたか察するにあまりある。中曽根氏は「保守の遺言」という本で、全氏を気づかった理由を「心配で」と明らかにした。若い頃から、「縁」があればその「縁」を尊重して従うという「結縁」、「尊縁」、「随縁」を人生のモットーとしたという中曽根氏らしいエピソードだ。

中曽根氏は在任中、韓国と中国との関係を重視したが、波紋を起したこともあった。1985年8月15日、日本の首相として初めて靖国神社を参拝した。韓中両国で激しい反日感情が爆発したのは言うまでもない。その後、再び靖国神社を参拝することはなかった。なぜか。

自分と親しい中国の胡耀邦総書記が、靖国神社参拝の影響で苦境に立たされたためだ。中曽根氏は著書で、胡耀邦総書記について「本当に私と意気投合した政治家だった。家族同伴で会う間柄だった」と振り返った。「中国内の話を聞くと、胡耀邦総書記が保守派によって追放の危機に直面していた。そんなことが絶対にあってはならないと考え、私は翌年から靖国神社の参拝を止めた」。

結局、外交も国政運営も人がすることであり、指導者も私的な親交に縛られるということを実感させられる。中曽根氏は日中韓の首脳が頻繁に会うべきだと強調して言った。「首脳が会うことによって友情が芽生える。これは外務省の官僚ではできないことだ」

安倍晋三首相が昨年末に靖国神社を参拝し、日韓、日中関係が悪化している。国際社会の批判に耳を傾けず、「戦争ができる国」づくりに没頭する安倍首相にすべての責任がある。いかなる弁解も説得力がない。しかし、安倍首相が韓中の首脳に会いたいと繰り返し言っているのに無視し続けるのも気の毒だ。日本とは共に解かなければならない宿題も多い。

ちょうど31年前の今日。1983年1月11日、中曽根氏は日本の首相として初めて韓国を訪れた。教科書や経済協力問題などで険悪だった日韓関係の改善を図る目的だった。中曽根氏はその日の晩餐で、冒頭のあいさつと最後の言葉を韓国語で行った。韓国側の一部出席者は涙を流した。拍手喝采が起こった。続く宴の席では両首脳が酒を飲み交わした。中曽根氏は訪韓が「大成功」だったと自評した。

中曽根氏が首相になった後、初めての訪問国として米国ではなく韓国を選んだのは重荷だったかも知れない。それでも中曽根氏は、正統性が脆弱な韓国大統領と関係を深めることに躊躇しなかった。

21日から開かれるダボスフォーラムに日韓首脳が出席する。気は向かないだろうが、朴槿恵(パク・クンヘ)大統領が安倍首相と意味ある対話をすることを期待する。嫌いだからと共存しなければ、変化を引き出すことはできない。安倍首相も朴大統領と親交を深めれば、中曽根氏のように考えが変わらないともかぎらない。