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[オピニオン]アウンサン・スーチー氏とミャンマーの難民

[オピニオン]アウンサン・スーチー氏とミャンマーの難民

Posted January. 30, 2013 07:44,   

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「ミャンマー民主化運動の象徴」、「鉄の蘭」、「女性マンデラ」。28日に初めて韓国を訪れたミャンマーのアウンサン・スーチー氏(68)につけられた勲章だ。昨年、彼女の一代記を描いた映画『The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛』が上映された後、「The Lady」という名前も新たについた。1988年から24年間、軍部独裁政権によって自宅に軟禁され、ノーベル平和賞受賞の演説に21年がかかった悲運の人物。しかし、再び立ち上がってミャンマー民主化の象徴となった女性。いくら別称をうまくつけても、スーチー氏の波瀾万丈な人生を表現するには力不足だ。

◆韓国に住むミャンマー国民は28日、仁川(インチョン)空港でスーチー氏に会って喜びの涙を流した。韓国に住むミャンマー人を大きく3つのタイプに分けることができる。軍部独裁を避けて脱出した難民、家族を食べさせるために入国した貧しい移住労働者、そして留学生だ。苦しい生活を強いられるミャンマー人にとって、世界が仰ぎ見るスーチー氏の訪問がどれほど大きな励みになるか想像に難くない。スーチー氏が率いる「野党・国民民主連盟(NLD)」の          ナイ・トゥン・ナイン韓国支部代表は「歴史的な事件だ」と喜んだ。

◆1988年のミャンマーの総選挙はNLDの圧勝だった。軍部独裁が終わり、民主化されると思われた。しかし、軍部が総選挙の結果を無効とし、状況は一変した。豊富な資源を持ちながら、国際社会から制裁を受け、最貧国になった。2011年にセイン大統領が就任し、変化の光が見えた。自宅軟禁から解放されたスーチー氏は、昨年の補欠選挙で国会議員になった。スーチー氏の韓国訪問も、ミャンマー政府の脱孤立政策のお陰だ。29日、李明博(イ・ミョンバク)大統領と朴槿恵(パク・クンヘ)次期大統領に会ったスーチー氏は、30日に光州(クァンジュ)を訪れ、9年間延ばしてきた「2004年光州人権賞」の受賞演説をする。

◆スーチー氏の活躍にもかかわらず、ミャンマー民主闘士の未来の展望は明るくない。軍部独裁から逃れて1994年に韓国に来たマウン・ゾー氏(44)は、「まだ道のりは遠い」と話した。スーチー氏は昨年11月、米国のオバマ大統領に会い、「ミャンマー政府の政治改革が『成功の蜃気楼』になる危険がある」とし、性急な期待を警戒した。マウン・ゾー氏は、2008年に制定された憲法を改正してこそ、真の民主化が可能だと説明した。ミャンマー憲法は、国会議員の25%が軍人になるよう規定している。野党と民主化の闘士は、英国人と結婚したスーチー氏のために、外国人と関わった人を大統領候補から排除した条項も改正する必要があると主張する。それでもミャンマーは、いくら強固な独裁政権でも、いつかは民主化の波に敗れるという確信を持たせてくれる。北朝鮮にはいつスーチー氏のような反独裁民主化の闘士が現れるのだろうか。

方炯南(パン・ヒョンナム)論説委員 hnbhang@donga.com