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爆発音で鼓膜が破れ、破片で怪我も…脱出島民「生き地獄へ戻りたくない」

爆発音で鼓膜が破れ、破片で怪我も…脱出島民「生き地獄へ戻りたくない」

Posted November. 25, 2010 06:13,   

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電力供給も断たれ、北朝鮮のさらなる挑発を憂慮した延坪(ヨンピョン)島民の「脱島」が続いている。北朝鮮の砲撃が止んだ23日午後から2日経った24日まで、約1500人の延坪島民が、漁船や海上警察の警備艦などで、延坪島を出たことが確認された。約930世帯、1780人余りの島民のうち、現在、延坪島に残っている島民は、約160人と把握されている。延坪島に残った島民も、近く仁川(インチョン)などに避難するとされ、当分の間、延坪島には軍部隊員だけが残る状況になるものとみられる。同日、海上警察の警備艦で、延坪島を脱出した島民の金ジグォンさん(53)は、「北朝鮮が延坪島民を砲撃したことは、戦争を始めたと見ることができる。死の恐怖を経験した島民の間で、戦争の危機感が広まり、島を離れる島民が増えるだろう」と話した。

●「怖くて、延坪島に帰りたくない」

同日午後1時17分頃、廃虚と化した延坪島で、生き地獄のような1日を送った島民約340人が、仁川海洋警察の艦艇埠頭に到着した。警察艇503号で来た島民は、衝撃が消えていないのか、震えていた。一部の島民は涙を流し、極度の疲労感と虚脱感を訴えた。島民の金ソンスンさん(71・女)は、「爆音が聞こえ、煙が立ち上がった。訓練かと思ったが、待避放送が聞こえ、服も持たずに来た。お金も持っていないが、帰りたくない」と涙を浮かべた。海上警察の埠頭には、島民や負傷者を搬送するための救急車などの車が集まっていた。

仁川に到着した延坪島民のチョ・ソンオクさん(78・女)ら負傷者6人は、仁川南洞区九月洞(ナムドング・クウォルドン)の嘉泉(カチョン)医大キル病院に搬送された。重傷者はいなかったが、多くの人が、砲弾が落ちた時の衝撃で、精神的苦痛を訴えた。ビョン・ジンシクさん(66)は、砲撃があった時に車を運転しており、砲弾の破片が額をかすめる傷を負った。ビョンさんは、「秋の植木のために役場で苗木をもらい、車を運転していた時に、砲弾が前に落ちた。横から飛んできた破片が額をかすめた」と話した。仁川から仕事で延坪島に来ていた朴ミョンフンさん(42)は、砲弾が爆発する音で鼓膜が破れた。病院側は、「砲弾落下の衝撃で、内耳が損傷した」と診断した。このほか、脳しんとうや肋骨が骨折した島民も、同病院で治療を受けた。同病院のヤン・ヒョクチュン教授は、「負傷者は、表にあらわれる外傷よりも、爆発後のストレスが深刻だと診断される」と話した。

●島民、灰となった家に惨憺

24日午後、北朝鮮の砲撃で、集落全体が廃虚と化した仁川甕津郡(オンジングン)延坪面南部里(ナムブリ)。近くの防空壕で、ろうそくの灯りを頼りに、恐怖の夜を震えながら、明かした李ジョンギュさん(73)は、砲弾の爆発で発生した火災が消火されると、集落に戻った。「昨日の午前までは、隣人と仲良く暮らしていた村が、1日ですべて廃墟となった」。

爆撃当時の惨状を物語るように、李さんの家は砲弾を受け、屋根が吹き飛ばされ、住宅は燃え、外壁の一部だけが残っていた。隣家は、砲弾が直撃したのか、細かく砕けたコンクリートとレンガうず高く積もり、住宅の形すら分からなかった。李さんは、「私たちの村だけで、約10軒が砲弾で半壊したり、火災で燃えたが、砲撃当時は引き潮だったので、村の多くの人々が、干潟でカキを取ったり、公共労働事業に出ていて、大きな災害を免れた。家をまた建てるには時間がかかるので、今年の冬は、延坪島を離れて陸で過ごさなければならないだろう」と話した。

●被害復旧と救護活動開始

北朝鮮の砲撃で発生した火災が鎮火され、被害の復旧作業も次々に進んでいる。同日、仁川甕津郡によると、延坪島の林野の約70%が燃え、住宅や倉庫21軒、役場や保健所などの公共機関8ヵ所破壊、または全焼したと集計された。仁川市は同日午前、消防車と救急車22台、消防隊員や医療スタッフを貨物船で送り、火災の鎮火と復旧作業を開始した。大規模な停電状況を解決するため、韓国電力公社は、840トン級の輸送船で人と装備を運び、電力設備の復旧に取りかかった。また、仁川市と全国災害救護協会が準備した緊急救護品2000箱が到着し、仁川赤十字社や海洋警察庁、甕津郡が用意した応急救護セット3550個と食糧が島民に供給された。



kchwang@donga.com jks@donga.com