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中古車5台で「ラオスの国民企業」に、オ・セヨン会長

中古車5台で「ラオスの国民企業」に、オ・セヨン会長

Posted October. 20, 2010 08:47,   

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29歳で大企業の社員という身分を捨て、ベトナムへ渡った。小さな失敗もあったが、30代に、年間1億ドル以上の売り上げを記録するほど成功した。しかし、まもなく失敗に見舞われ、落ちるところまで落ち、再び立ち直った。そして14年後、企業成長の「花」と言われる株式市場への上場を故国で実現するに至った。

韓商企業として初めて、有価証券市場への上場が決まったラオスの「国民企業」コラオグループを起こしたオ・セヨン会長(49)の話だ。韓国の証券市場へ、外国企業と共に韓商企業が先を争って進出し、いくつかの韓商企業がコスダック市場に上場したが、コラオは1回落ちたにも関わらず、有価証券市場を固守し、来月公募に乗り出す予定だ。韓国取引所は、「企業の財務諸表がとても良かった」と、上場を許可した理由を説明した。19日から大邱(テグ)で開かれる韓商大会に参加するため訪韓したオ会長と会った。

オ会長は、有価証券市場にこだわった理由について、「開発途上国で成功した企業であるため」と説明した。韓商企業家はほとんど繊維、靴など労働集約的な産業を起こし、垣根の低いコスダック市場にチャレンジしやすいが、自分は大きな市場で確実に評価してもらいたかったということ。

外国で暮らすと、誰でも愛国者になると言われるが、オ会長は今回の上場をサケが生まれた川を探して遡上する旅程に喩えた。彼の事業家としての人生は最初から順調ではなかった。1980年代末、コオロン商社海外新市場開拓チームに勤めていたオ会長は、ロシアが崩壊し、社会主義同盟だったインドシナ半島の諸国が市場開放に乗り出すと、サラリーマン生活にピリオドを打った。ベトナムに定着して商売をし、1年間勢いに乗ったが、ベトナム現地のパートナーが、さらに好条件のパートナーを見つけた後、彼を捨てた。若かった彼はすぐに立ち直った。かえって縫製業から自動車貿易商へ、業種を転換する契機になった。

「失敗から学ぶことのできない経営者は水際の子どもと一緒です。周りの忠告を聞こうとも、情勢が変わっているということを見ようとしないためです」

1996年ベトナムは東南アジア諸国連合(アセアン、ASEAN)に加入し、中古自動車、中古装備の年式を制限するなど、輸入禁止措置を取った。オ会長は長期間蓄積してきた自分の人的ネットワークだけを頼りにしていたが、結局、1997年の初め、結局会社を廃業する羽目に遭う。8ヵ月間、お酒ばかり飲んで過ごしながら世間を恨み、一時自殺まで考えていたオ会長は、自分の間違いに気付き始めた。「事業家なら変化をキャッチして対処する資質を持たなければならない」という悟りは新しいスタートを可能にした。面白みがないように見えた隣国ラオスへ渡り、道端で2週間、市場調査をした。道路には日本車が徐々に登場し始めた時期だった。ラオスの交通システムが、韓国と同じという点に着目し、中古韓国車を持ってくれば勝算があると見た。姉の手を借り、中古車5台をもらい、これを基盤に中古車改造事業を手がけた。中古車部品を持ち込み、地元で中古車を製造する事業だった。当地の中古車改造工場を捨て値で買収したのが事業拡張の土台になった。政府の関税特典まで得て、価格競争力まで持ち合わせるようになった。自動車展示場を作るための建設会社(アイテック)、物流のための物流会社(グロビア)などを作っていくうちに、系列会社は6つに増え、昨年は自動車割賦金融を主に扱う銀行まで立ち上げ、グループは年間1億6000万ドルの売り上げを起こしている。

同氏はラオスへの理解度が高いシンガポールや、世界一流の米国を選ばない理由について、「韓国人だから」と答えた。「コラオも証券市場を通じて良質の資本を供給してもらうことになるが、韓国の投資者も世界各国のドル箱企業に投資できるチャンスを得るわけだから、一石二鳥」というのがオ会長の考えだ。

今度上場する企業は、現代(ヒョンデ)・起亜(キア)自動車のディーラー、および中古車・中古オートバイの組み立て・販売を行うコラオディベロッピングの持株会社のコラオホールディングスで、今年売上高が1億1000万ドル、純利益1250万ドルが予想される良質の企業だ。1人当たりの国内総生産(GDP)が930ドルに過ぎないラオスが、10年後は2000ドルを越えると予想されるため、所得増加の必需品である自動車産業に火がつくことは必至だ。オ会長はラオスを拠点に、世界各地へ伸びていくコラオを作りたいと話した。彼の夢はいま始まったように見える。



artemes@donga.com