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天安門事件の主役、今やバフェット氏の有力な後継者に

天安門事件の主役、今やバフェット氏の有力な後継者に

Posted July. 31, 2010 08:55,   

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子ども時代、文化革命で実親と生き別れし、20年後は天安門民主化運動の主役になった。その後、米国へ渡り、ヘッジファンド・マネージャーとして名声を博し、今は「投資の鬼才」ウォーレン・バフェット・バークシャー・ハサウェイ会長の有力な後継者としてまで取り上げられている。米紙ウォールストリートジャーナルは30日、歴史の節目ごとに劇的な反転を繰り返したこの40代中国人の人生に光を当てた。

同紙は、「今年44歳のファンドマネージャーの李路がバフェットの有力な後継者として浮上している」とし、「逆発想と価値投資を重視する李さんの投資哲学もバフェットのそれと一致する」と書いた。今年で80歳のバフェット会長は、まだ引退の考えを示していないが、自分がやっていた投資業務を2〜3人に分け与えるやり方の後継構図をずいぶん前から構想してきた。李さんがこの中で一座を占めるようになるという意味だ。

李さんの人生は最初から平凡でなかった。彼が1歳にもなっていないごろ、技術者だった父親は文化革命で粛清され炭鉱へ連れていかれ、母親も強制労働キャンプに入れられた。李さんはその時からいろんな所へ預けられて育てられた。親のいない学生時代は、喧嘩と彷徨の連続だったが、彼のことを心配していた祖母の努力で気を取り直し、南京大学に入学した。

李さんの人生の流れをもう一度変えたのは1989年の天安門事態だった。デモに参加した学生らを取りまとめ、絶食闘争にも乗り出した彼は、デモが無力鎮圧されるごろ、米国へ亡命しコロンビア大学で留学生活を始めた。バフェット会長との縁は、1993年、偶然大学の校庭で彼の講演を聴いた時に始まった。李さんは、「中国で暮らしていた時は、金融市場そのものを信頼していなかったが、彼の講演を聞いてから、株式市場に対する否定的な見解を克服するようになった」と振り返った。

学費をまかなうために独りで株式投資をして少なくないお金を稼いだ李さんは、卒業後、自分の投資会社を立ち上げた。彼は人権運動家としての前歴を利用し、バークシャーのチャーリー・マンガー副社長をはじめ、富裕な投資者を相当数集めた。たとえ、アジアの通貨危機などによって損失も何度も被ったが、1998年以降、ファンドの年換算収益率が26.4%に達するほど、実績が良かった。

あの時までも「そこそこうまくいっている中国系ファンド・マネージャー」だった李さんが決定的にバフェット会長の目に留まったのは08年。同年、李さんは自分が既に投資して収益を上げていた中国の電気自動車企業の比亜迪(BYD)をマンガー副社長に推薦し、これにバークシャーは2億3000万ドルをBYDに直接投資した。現在、この株の評価額は元金の6倍が越える15億ドルへ膨れ上がった。李さんの助言が、投資する上でエコ・エネルギーを重視するバフェット会長の哲学と見事に合致したわけだ。

ウォールストリートジャーナルは、李さんのバークシャー合流の可能性についてのバフェット会長の直接的なコメントは載せなかった。しかし、マンガー副社長の話として、「李さんが近いうちに会社の最高投資責任者のポストの一座を占めるだろう」と伝えた。これについて李さんは、「私がバークシャーのインナーサークルになったのは、凄い幸運であり、これは夢にでも実現できないことだ」と話した。



jarrett@donga.com