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金大中元大統領、「私は『妾』の子だった」 自叙伝で告白

金大中元大統領、「私は『妾』の子だった」 自叙伝で告白

Posted July. 30, 2010 08:12,   

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「私の母親は、生涯『妾』として暮らした。長く政治をし、私の出生と母親について話さなかった。母親の名誉を守りたかったからだ。しかし、事実を隠したからといって、母親の名誉を守れるわけではないと考えた。母親は苦しい環境の中でも私をしっかり育て、私も誰よりも母親を愛したからだ」

金大中(キム・デジュン)元大統領の自叙伝が29日に出版された。『金大中自叙伝』(サムイン出版社)には、金元大統領が生前に一度も話したことがなかった「出生の秘密」をはじめ、自分を弾圧した政敵・朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領の娘の朴槿恵(パク・グンヘ)元ハンナラ党代表に対する考え、87年の大統領選挙での野党候補一本化の失敗、南北首脳会談の内幕、李明博(イ・ミョンバク)政権に対する評価、慮武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領の死に対する思いなどがつづられていた。自叙伝は、04年から金元大統領が41回にわたって口述した録音と日記などを基に書かれ、1周忌(8月18日)を記念して30日から販売される。

金元大統領は、04年8月、当時ハンナラ党代表だった朴元代表が訪ねてきて、「父の時代に色々と被害を受け苦労されたことに対し、娘として謝罪する」と言ったことを紹介し、「世の中にはこんなこともあるもんだ」と綴った。「朴正熙元大統領が生まれ変わって私に和解の手を差し出したようでうれしかった。謝罪は独裁者の娘がしたが、私の方が救われた思いだった」と書いた。

民主化の同志だった金泳三(キム・ヨンサム)元大統領と87年の野党候補一本化を果たせなかったことについては、「私の方で譲歩すべきだった」、「大変後悔している」と自分を責めた。その一方で、「むろん、一本化しても勝つという保障はなかった。彼らの選挙不正を当時は防げなかっただろう」と付け加え、一本化の失敗を民主陣営の大統領選敗北の原因と認めていないことを示唆した。

李明博大統領に対しては、「過去に建設会社に在職していた時の傍若無人な態度を現した」、「実用的な人だと考え、大勢には逆行しないと信じたが、私が間違っていたようだ」、「実用の概念を誤って理解しているようだ」と批判した。特に、李大統領の対北朝鮮政策に対しては、「韓国外交史上、最悪の失敗を繰り返す可能性…前政権で成し遂げた10年間の成果が崩れるのか」などの表現を使い、「李大統領は南北問題に対する哲学がない」と強く非難した。

慮武鉉前大統領の投身自殺については、「李明博政権によって強要されたも同然だ」と主張した。また、「もはや民意に従わない独裁者は、民意によって退出させなければならない時になった。二元執政府制や内閣責任制を導入することも悪くない」と改憲の必要性も取り上げた。

00年の南北首脳会談に関連して、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記が、「7・4南北共同声明」を例に挙げて、「林東源(イム・ドンウォン)大統領特別補佐と金容淳(キム・ヨンスン)労働党対南担当秘書兼統一戦線部長」の名義で共同宣言文を発表しようと言ったが、説得して両首脳名義で宣言文が作成されたと紹介した。金元大統領は、金総書記が、「大統領が全羅道(チョンラド)出身だからなのか、執拗ですね」と言い、「金総書記も全州金氏ではないですか」と応酬したと紹介した。これに対して、金総書記が、「凱旋将軍と言われたいようですね」と言うと、「凱旋将軍にさせてくれてはどうですか。ここまで来たのですから」と返したと振り返った。

3人の息子・弘一(ホンイル)、弘業(ホンオプ)、弘傑(ホンゴル)氏がロビー事件などに関与して起訴、拘束されたことについては、「無念だ」と言い、「父親」としてのやるせない心情を吐露している。



jin0619@donga.com