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[社説]憲法記念日が恥ずかしい

Posted July. 17, 2010 08:05,   

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自由や平等理念を基にした自由民主主義や市場経済、機会の均等、軍や公務員の政治的中立などは、我が憲法の基本精神だ。権威主義の政権が支配した大韓民国は1987年、第9回憲法改正後、急速に民主化の道を歩んできた。言論や出版、集会、結社の自由やプライバシーの秘密保護、刑事被疑者や被告人の防御権保証など、基本的人権が大幅に向上した。にもかかわらず、憲法精神がきちんと実現されていないのみならず、むしろ逆行する反憲法的現実が、いたるところに存在している。第62周年憲法記念日を迎え、恥ずかしいばかりだ。

ソウル陽川(ヤンチョン)警察署による拷問疑惑事件や首相室・公職倫理支援官室による民間人査察からも分かるように、人権の死角が依然残っている。公務員労組や全国教職員労働組合(全教組)は、公務員の政治的中立性(憲法第7条)を踏みにじる集団行動を、これ見よがしに行っている。民主労働党や進歩連帯のような一部の政党は、「政党の目的や活動は、民主的基本秩序に反してはならない」という憲法第8条を、頻繁に違反し、憲法精神を揺るがしている。憲法上、大韓民国の領土である北朝鮮で行われている残酷な人権実態については目をつぶったまま、韓国内の人権問題だけを過度に取り上げる左派団体の北朝鮮寄りないしは北朝鮮追従の言動も、憲法精神から脱しているいるのは同様だ。

経済や教育分野でも、憲法の「機会の均等」精神を、「機械的平等」と歪曲する現象が少なくない。学校現場では、成績に基づいた優劣クラスの編成や英才教育、特殊目的高校などが、まるで平等理念に反するかのように主張しているのが、その例である。間違った平等意識が、国の百年大計や教育競争力の向上を妨げている。

集会デモの自由も同様に、絶対不可侵の権利でもあるかのように主張する勢力がある。しかし、これは公共の安全や秩序と言う大多数の国民の利益を度外視したことで、民主主義の名で正当化することはできない。国会は、憲法裁判所が設定した「集会とデモに関する法律」の改正期限(今年6月30日)が終わり、我が社会を夜間集会の天国にしてしまった。

憲法精神の失踪は、憲法こそ、大韓民国を今日に至らしめた根幹であり、柱であることを忘れたことから起因している。法を執行する大統領や政府から先に、憲法精神や価値を尊重し、遵守すると言う確固たる意志を、行動を持って示すべきだ。国会は、立法過程から民主的手続きを徹底的に守ることで、不法・暴力国会の汚名を返上しなければならない。司法部も同様に、一部の判事らの主観的所信やイデオロギーに偏らず、憲法精神に充実に基づいた判決を通じ、憲法を守護する責務がある。国の根幹となる憲法精神を傷つける我が社会の反憲法的言動を監視し、阻止する責任は、究極は国の主人である国民にある。