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光化門復元、光復節公開に向け仕上がり

Posted July. 02, 2010 07:07,   

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現在、光化門(クァンファムン)復元工事は90%終わった。石垣の上に2階の木造楼閣を全て立て、丹青作業がほとんど終わっている。光化門とつながる東西方の宮墻(宮廷の垣根)の復元も大詰め段階に入っており、光化門周辺の建物の復元も、仕上がり段階に入っている。復元工事の総責任者で、重要無形文化財の大木匠技能保有者のシン・ウンス氏は、「特に、瓦葺きの軒の曲線が、とてもすんなりと優雅に仕上がった」と説明した。

文化財庁は、5日からは光化門を覆っている仮設上家の撤去を開始し、7月下旬、撤去を終了する計画だ。仮設上家が撤去されると、市民らは光化門復元の仕上げ作業を目にすることができる。7月末には、1865年重建当時の字体に復元した光化門の扁額をかける予定だ。

光復節に公開される復元建物は、光化門を含め、光化門左右の宮墻、宮廷門の守備を担当した守門将庁など、光化門の付属建物、光化門から後ろ側の興禮門(フンレムン)につながる御道、光化門前の月台の一部など。光化門が公開された後も、東十字閣周辺の宮墻復元作業などは引き続き行われる。

1395年、景福宮(キョンボクグン)の正門として建立された光化門は、1592年、文禄・慶長の役の時に焼失した後、高宗(コジョン)の時の1865年、興宣大院君の景福宮重建と共に再び建てられた。1926年、日本帝国は、朝鮮総督府庁舎を建てるため、光化門を景福宮建春門(コンチュンムン)の北側(現在の国立民俗博物館の位置)へ移した。韓国戦争時に陸築上の木造樓閣が焼失した。

1968年、元の場所に移し、復元したが、正確な本来の位置から東北側へ約10メートル外れ、景福宮の中心軸から3.75度ずれて配置された。石築の上の樓閣も、木ではなく鉄筋コンクリートで作られた。今回の光化門復元は、位置を正しくし、木で楼閣を作る作業で、1990年始められた景福宮復元1段階事業の終わりを意味する。



kplee@donga.com